海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

椿五十郎

職場の雑用。2時間で終わると踏んでいたのが6時間もかかって甚大なダメージを受ける。授業の準備ががががが。しかもこの雑用、お昼の弁当が出るのだけど、それを食べる暇もなく作業していたので、やっと16時半に食べることに。ああ生活リズムが崩れてしまう。もうやだでもこれあと3回はやらなきゃならんの。夜は町の寄り合い。某氏から、ことあらば働けと言われていたところ、その機会がなくて何より。

I said so

「未来への大分岐」を読んだ。資本主義が終わった後にどうしたらいいかについて、気鋭の若手斎藤幸平がマイケル・ハートマルクス・ガブリエル、ポール・メイソンの3人と対談する本。まあ資本主義システムの持続不可能性については、生態学徒たる私には昔から自明だったわけだが、最近はこの認識がだいぶん広がってきていて嬉しい限りだ。で、この本で一番印象に残ったのは、最初に出てくるマイケル・ハートが「コモン」の民主的管理が重要、と訴えているところ。コモンというのは社会的に共有すべき富のことで、自然とか土地とかそういうのを私有してはいかんという。それ、今自分が関わっている駅西開発の話と大きく重なってるわけよ。開発に反対すると「私有財産に口を出すのか?」と激しく攻撃されて違和感を感じるのね。そりゃ確かに今の制度だと土地って私有が認められてるけど、あれって使って無くなるものでなし、本質的には生きてる間一時的に借りてるだけだよね。それが土地の本質だよね。だから、その土地の性質を不可逆的に変えてしまうようなことは一存ですべきじゃないんだよね、と、私は本気で思っていて、その前提でモノを言うから、激烈な反応を喰らうのだな。でも、皆さん真面目に考えてみればわかるんじゃないの?自分で買ったおにぎりをいつでも好きな時に食べられるって言うのとは、本質的に違うことなんだよ。で、マルクス・ガブリエルとのパートは、新実在論の説明が面白かった。不勉強なので、この本を読むまでまったく知らなかったのだけど、そうかこう言う論理で相対主義を乗り越えようとしているのか、そうだな相対主義を乗り越えることには大きなニーズがあるんだな、と感じ入った。ともあれ、この本は全体のどこを取っても刺激的な論考が散りばめられていて、読んでていろんなことをインスパイアされた。っていうか、オレ間違ってないって思えて精神衛生によろしかった。皆さんも読むよろし。

 

資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐 (集英社新書)

資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐 (集英社新書)

 

 

薮の中

卒論生2人が、この夏にとったデータをどうやってまとめていけばいいかについて相談に来る。夏休みなのにまじめなことで素晴らしいと思うわけ。で、それはいいのだけど、話していると突然一人が「先生、○○寺に行かれますか?」とか言い出す。む、確かにそこの寺の前をとおってクモ捕りの場所に行くが、君はなぜそれを知っている?というと、友達とドライブして○○寺に行く途中で先生らしき人が林に向かって立ってるのを見た、とか言うわけ。げげと思って詳しく聞くと、どう見てもそれオレよ。まじかー、そういうことなら声かけろよー。いやしかし、私ならそういうところだったら、何をおいても車止めて声かけるわ。ビックリさせられるじゃん。人をビックリさせられるって最高のもてなしよ。それが終ってもう一人来年卒論の学生がやって来る。こちらとは行きつ戻りつしたけど、最終的に一歩前進したんじゃないかと思う。夕方帰ってくる途中に某所で某氏の近況を聞く会。そうかそういう話なのか。帰宅すると別の某氏がヨメサンといろいろ相談していた。つうことで人と人が話しまくる一日。

残ったものの務め

今日も高校の同級生との集まり。一年前に急逝した友人を偲ぶ1周忌の会。こういう会に出る歳になったんだなあオレも。ついこないだまで結婚式ばかりに出ていた気がするが…シャレにならない。で、その友人は、二年前にやった全体同窓会の切り回しで大活躍した人で、その時の会を運営した人たちとしては、喪失感があるわけね。で、私はその会ではレクチャーをしただけの役回りで、準備とかにはまったく関わらなかったのだけど、それでも関係者の一人ということで(友人とは高一の時に同じクラスだったこともあり)呼んでもらったというわけ。つうことで動物園前のお寺に集まってお線香あげて隣の料亭で会食。なんかG20の外相夕食会の会場だったようなすごいところで、新しい畳のかおりがまだしているところだった。で、12時から16時まで延々飲み食いさせてもらって、これどう見ても1万円では収まらないところ、今回の幹事がお店とコネがあって激安にしてもらったという。げに大切なのは人の縁。っていうか、そういうのが効く年ごろなんだな。で、かなり飲んでへろへろになって、外に出たら暑いでやんの。死にそうになって通天閣の方に移動し、串カツ屋で二次会。最初、へろへろでこれ以上飲むとヤバイ感じだったけどしばらく水飲んでると復活してきたので再度飲み直し。20時半まで。よー飲んだわー。こういうの故人の人徳だよね。改めて御冥福を。

ムダなダメージ

6月にお役目で大学の保護者会に出ることになって、私的に一番苦手な、初対面の人との当たり障りのない会話をする羽目になって、まあ一回だけなら我慢するかと思っていたのだけど、あろうことかまたやらなくちゃいけなくなった。前回は全体総会で、今回は地区会だって。一度にやれや!といってもしゃーないのでスーツ着ていかなきゃならない。で、8月終わりに涼しくなってたのに、またここ数日無茶暑くって、スーツなんてきてられるか!と思ったけど、着なあかんわなあと思ってなくなくソデを通したのだけど、他に来ていた教員の中にはもっとラフな格好の人もいて、「あなたのスーツ姿なんて珍しい」とか言われて、しまった!という。で、当たり障りのない話をする。一人話し好きのお母さんがいて、その人とずっとしゃべって小一時間。助かった。終ってほうほうの体で帰宅。そして夕方某高校の同級生を迎えに行く。ウチのイシガメをもらってもらうのである。実は今年、ウチは産卵ラッシュで、ヨメサンが次々と孵化した子ガメを見つけてその数20。そのうち2個体が不慮の事故で既に亡くなり、他2個体がもらわれていったのだけどまだ16個体のこっている。さらに去年生まれた子もまだ4個体のこっており、さらにこの子らのお父さんお母さんが4個体いて、もう一個体ミナミイシガメがいるので、合計すると25個体のカメがひしめく家となっているのだな。さすがにあれなので、去年産まれの2個体をもらってもらうのだ。子ども園の先生なのでそこで飼ってもらうの。そんなこんなしているとまた別のお客さんがきて、なんかわけのわからない状態になったのだが、それぞれさばいて日没前に芋畑に行ってヨメサンと蔓をはがしていると電話がかかってきて、友人の某議員が某案件について話したいというのですぐに帰宅。小一時間話す。で、夕ご飯作る時間が無くなったので外食。

空気読まない

9月じゃん。教授会とか始まるじゃん。あと10日で後期の始まりじゃん。うつだ。つうことで、午前中は受験生用の大学パンフレットを作るために業者が私にヒアリングするというので応対。なぜ私かというと、単に私が今年主任だから、というそれだけの理由であって、私がヒアリング対象として適切かどうかという考慮は一切なされていない。で、私の思うところ、私はヒアリング対象として極めて不適切である。なにせ社会学が中心となっている今の所属先で私は学問分野的に最もアウェーな立場にいて、そういうメインストリームにとって何が学生募集上重要なのかについての見識を持ち合わせていないからだな。で、そういうことを何度も何度もいいながら、アウトサイダー的な意見を述べまくると、まあ先方は困惑するわな。でも、ええかげんなことを口からデマカセ的に喋るよりはましでしょ。午後は教授会。自分が主宰する会議も1つ。一ヶ月こういうことを考えずに暮らしていたので、頭の使い方を会議向けに調整するのに往生した。あー、またこの生活になるのか。いやだなあ。

自転車操業の危機

授業準備でごにょごにょ。できるはずだと思っていたことが何回やってもダメで、手を変え品を替え一日取り組むものの、どうにも上手く行かない。ということで最終的にあきらめるわけだが、これちょっとかなわんなあ。時間が失われつつあるこの段階で一日失うのか。つらいわ。。。例年講義開始までには15回分の準備を一応終らせてから臨んでいるけど、今年は突入してからまだ準備しているって状態になるかもしれない。。。