海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

へ理屈

そういえば土曜日のことを書き忘れていた。ウチの町では「私の声」という、行政に質問や意見をネットから投げられる仕組みがある。で、いろんな経緯で町の公文書管理のやり方が規程に沿ってないんじゃないかと思われる事例に出くわしたので、昨今の風潮を見るに、これを見過ごすことは民主主義社会に生きているものとしてよろしくないんじゃないかと思い、以前に意見を投稿したことがあるのだな。町の文書管理規程には、「文書は保存しなくてはならず、その期間として永年、10年、5年、3年、1年の5つがある」むね書かれている。つうことは、どんな文書も最低一年は保存しなくちゃならないはずだ。なのに実際は一年未満で廃棄されている例があり、その理由を町は「文書は組織的に使うものだが、用務が終わると組織的に使わなくなるので文書が文書で無くなる。だから廃棄しても構わないのだ」と言うのである。そりゃなんぼなんでも無茶苦茶でしょう、ということで、意見したわけ。で、意見には必ず町からお返事をもらえるのだが、私がもらったお返事の内容が酷かったのだ。町のやり方に問題はないのだ、と正面から突っぱねてくるのだけど、その根拠が私に言わすとデタラメだったのであるよ。1つは、組織的に用いなくなると文書じゃなくなるから良いんだ、と旧来の主張を繰り返すもので、それあーた主張の根拠になってませんがな、という。2つ目は、文書はフォルダーコードを付して管理保存する、と書かれている規程の条文と、軽易な文書には文書番号を付さなくても良い、と書かれている条文を合わせて、すべての文書が最低一年保存しなくてはならないわけではない、と主張するものだ。で、この2つ目がより酷くて、文書の分類のためのフォルダーにつけるフォルダーコードと文書自体につける文書番号という異なるものをあたかも同一であるかのように混同させるような表現を用いて無理矢理主張を成立させようとしていることが1つ。そしてフォルダーコードに関する条文の後半には、保存期間については先の5つの区分のどれかを文書の種類に応じて決めることが書かれているのに、返事の中の条文の記述ではそこが省略されていることが1つ(つまり一年未満で廃棄して良いなんて解釈はどうやっても成り立たない)。合わせてみると、町のやり方を正当化するために意図的に条文をつまみ食いしてこちらをだまくらかそうとしているという疑いが生じる。ってか、こちとら腐っても学者である。向こうが何か主張して来た時、その一次ソース(今回の場合は規程条文)を確認するのは当たり前なわけで、それですぐに露呈するような稚拙な手法でこちらを騙せると考えたのなら舐められたもんだと言える。つうわけで、怒りの返信を土曜日の朝に書いたのだった。2600字、1時間。そんなことやってる時間で論文書けとか言っちゃいけない。ちなみに、今日はまた科研費の報告書書き。あと二割と思っていたけど、結構てこずった。やっぱり締めの報告書を書くのは丸々2日くらいかかるな。と思っていたら、夜、寝る前に肝心要の部分で解析に不適切な部分があることに気がつく。なんかしっくり来ないなあと前々から思ってたのだけど、そういうことだったのか。でももう眠いので続きは明日。