海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

謙虚さと責任感と

年末年始はヨメサンの家族がウチに集まっていて、ずっとテレビがついているという普通の光景が展開する。で、普通じゃない私的にはちょっと刺激が強い。特に、バラエティ番組の音がキツイ。なんであのタレントたちってのはただギャーギャーわめいているだけなのでしょうか。ということで、意識でもって刺激をシャットアウトすべく、視覚に全注意を振り向ける。すなわち読書だ。で、去年は途切れたのだけど、それまで毎年元旦に読んでいた内田樹本を今年はリバイバル。売れているという「街場の戦争論」を読んだ。この本に書かれている大事なことを一言で述べれば、「会社が世界の全てだと思うなよ」ということかと思う。サラリーマン家庭の子弟として育った私としては、会社勤めの人が企業社会のルールを自分の関わる全ての社会に押し付けてきて恬として恥じないという状況は個人的に非常に重要な問題であったのであるが、長じて、それが決して個人的なものにとどまらず社会のあらゆるところに現出していることがわかって本当にイヤになるのであるが、これは言わせて貰えば彼らの不勉強ゆえであって、で、彼らがどうして不勉強であるかというと、それは日本の高等教育がうまく機能していないことに原因があるわけだが、じゃあどうして高等教育が機能してないかというと、我々の力不足が責められるのである。ごめんなさい。ただ言い訳をさせてもらうと、見えないものより見えるもの、幸福よりもお金、実力より形式の方が重要であるという、高等教育以前に身についている世界観というか哲学というかを逆転させるには、我々はあまりにも徒手空拳であるという。最近は逆向きの価値観を持つ人の業界への侵食も甚だしく、数的不利がさらぬ増しているわけで。ともかく、どうしてこんなに徒手空拳であるかというと、そりゃあ高等教育にコストをかけようという意思の欠如が理由で、その根底には、本当は貧しいくせに大国のふりをしたがるという夜郎自大性が横たわているのであるよ。それって前の敗戦の遠因なんだから、つまりは日本ってちっとも反省してないねっていうこの本のもう一つのテーマに繋がるわけ。いや、株式会社ってのは、責任を管理可能なものにするのが制度的なキモみたいなもので、そこをハックして無責任者の培養器にするのも簡単だよね。

街場の戦争論 (シリーズ 22世紀を生きる)

街場の戦争論 (シリーズ 22世紀を生きる)