海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

ぶーめらん

ぶーちんの中学校の入学式。ぶーちんは小学校の入学式が授業で出られなかったのである。かつ中学校の入学式は上の子のときはやっぱり授業で出られなかったのである。そんなわけで、今日は二重の意味で初の入学式。いそいそと出かけていったけれども、オレやっぱり中等教育キライだわ。この学校を覆う統制の雰囲気。以前からこれこそがファシズムの温床ではないかと疑っているこの雰囲気はどうにも苦手。で、ぶーちんの担任は評判の良い人だったので一安心。いや、詳細を書くのは控えるのだけれど、ウチ的には、この人にだけはウチの子らに関わって欲しくない人がいるのよね。で、ホッとしたのもつかの間、入学式が終わり、その人が保護者の前に出てくるわけよ。なんか指導担当とのことで、学校と保護者は連携していかなきゃ行けないとか言い出す。まあ、そのこと自体はそうかもしれない。けれど「例えば、学校で子どもを理不尽な目に遭わせたなといって怒鳴り込んでくる保護者もいるけど、子どもが本当のことを言ってるとは限らない。去年も、子どもが悪さをしたので強めに叱ったら、学校に抗議に来た親がいたけど、ちゃんと事実関係を確認したら、当人が悪い事がわかったので収束した。ので、保護者の皆さんは学校を信じて欲しい。学校と保護者が対立するのを子どもに見せるのは教育上良くない」てなことを言い出されては、なかなか平静ではいられなかったわけよ。というのは、そのロジックを保護者が全面的に受け入れるのは学校側にフリーハンドが渡ることになるわけだから、それは危険きわまりない状況に子どもを置くことになると思うからだな。もちろん、それがかなり稀なケースであることは承知しているが、いったんそういうことが起こると、子どもが被るダメージはかなり大きくなる可能性がある。し、私にはそういう警鐘を鳴らす資格があると思うからだな。そもそも、お前ようそんなことしれっとウチの夫婦の前で言うなあ、という。つうわけで腹が立つわけだけれども、まあオトナだからここは黙っていた。さて実際問題として、自分に都合の良いように物事を語る人はいるから、一般論としてその人の言うようなケースが100%存在しないわけではない。けれど、そのようなケースがあるからと言って、すべての子がウソを語るわけでもない。ので、ウソが語られるケースをもって、保護者に学校の言うことを信じろ、と述べることは、ウソを言わない子どもにとっては世界に対する信頼を失わせる行為になるのではないか。それは教育のあるべき姿じゃないんじゃないか、とか、夜、風呂に入りながら、やっぱり腹が立った。だいたい、都合の良いように物事を語るのは子どもだけじゃないだろうよ。オレ知ってるよ。

まあそんなことはあったけれども、ぶーちんが中学生になったのはめでたいことであるからして、うれしい。で、午後は竹林にギンナガ探しに行って、ほとんどは子どもだったけれども、一個体だけ成体を見つけた。さあいよいよこれから一週間くらいが勝負か。