海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

符牒

3時間目は3回生15人を連れて裏山を歩く。久しぶりにここに来てみたけど、昨秋の台風で倒れた木が道を完全に塞いでいて、獣道的にまき道ができていた。他にも樹冠に折れた大枝とかまだ残っていて、これしばらくはいるの危ないかもなあと思った。学生には行かさないようにしたほうが良いかも。で、さあ、じゃあ周りを見ながら歩いてみなさい、といって歩かせて、列の最後尾をついていくのだが、学生は当然のように何も見ないでただ歩き進むだけ。観察する、という行為は、これ自然なことではないのかもしれない。しかたないので、落ちてる材を割ってみたら、何かの蛹が出てきたので皆さんを呼び戻して、見せてみる。そうするとこれ1つやるだけで、学生が周りを見始めるのが面白い。やっぱり自然なことであって解発されるのを待っているのかもしれない。とか言ってると前方から悲鳴が上がるので、何だろうと行ってみるとムカデ。君たち、虫を見てキャーという行動パターンやめなさいね意味ないから、というわけだけど、「だって気持ち悪い」とか返してくるわけ。君たち、私のところで卒論書くのに、生き物のことを気持ち悪いとか言ってはいけないよ、ということで、ムカデに近寄ってまじまじ見る、ということをやってみせる。そしたら、他の学生も近づいてくるから素直なもんだと思うのだが、でも、これきっと私がいないところで学生だけでムカデに出くわしたらまたキャーって言うんだろうなと思うわけ。でもそれってつまりさ、虫を見た時の反応ってのが、仲間性の確認のために行われてるって事かもな、と思ったわけ。私が含まれる集団では、虫を見たら近づいてくるわけだけど、私がいない集団ではキャーという。ってそれは、虫に近づくのもキャーというのもその行為自体は必然性があるわけじゃなくって周りの人に、私はあなたの同類ですよ、と訴えるためのシグナルになってるって事じゃんね。もしそれが当たってるのなら、生き物に優しいやり方をシグナルに採用してくれんかな。