海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

事後対応案

昨日の衝撃は大きく、今日はミシマ社のサイトに案内文を告知してもらって、自分のブログやTwitterFacebookなどにその旨ふれまわる。これでどれだけ伝わるかというとはなはだ心もとないのだけれど、やれることはやっとかなきゃね。しかしこういうことは氷山の一角であるに違いないわけで、ジャーエソでは生データの提出を義務づけていないのだけど、そうすると悪意ある著者がもしいたとして、かっこうの標的になるわけじゃん。これまずいよなあ。これを防ぐにはジャーエソでも義務化をしなきゃいけないのかもなあ、とか考える。で、そうだ来週が生態学会の講演要旨提出の締め切りであるので、と、がんばって書き上げS宮さんにも見てもらってから登録。一応これで安心。

不正なデータは世界を駆ける

朝起きて、ツイッターなど眺めていると、とんでもないニュースが飛び込んでくる。社会性クモの個性研究の第一人者であるところのPruitt氏の論文に不正なデータがあることがわかり、論文の取り下げが生じており、それが下手すると一本や二本に留まらず(現在は二本取り下げ)、大規模な撤回が生じる可能性が出てきているとのこと。

www.sciencemag.org

げげげげ、クモの個性の話は「クモのイト」で一章割いて書いている大事なテーマ。Pruitt氏の仕事もめっちゃ面白いのでいくつか紹介している。

クモのイト

クモのイト

  • 作者:中田兼介
  • 出版社/メーカー: ミシマ社
  • 発売日: 2019/09/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

で、撤回された論文がなにか見てみると大当たり。その個性の章でとりあげていた社会的ニッチ構築の話であった。で、いろいろ調べてみると、撤回された論文の第一著者が、おかしなデータを発見して撤回の判断をするに至った経緯を綴った記事を発見する。

laskowskilab.faculty.ucdavis.edu

これによると、どうやらPruitt氏から提供されたデータセットの中に、秒数で測った計測値(最大値が600)で小数点以下2桁までがピッタリ一致するものが多数見つかり、他にも100の位の数値だけが違っていて、その下の桁がすべて同じというものまで見つかるのだそうだ。あげく、連続したデータの数字の並び方まで同一であるブロックまで存在することが分かり、第一著者がPruitt氏から得た説明ではそのような現象が起ることがまったく説明できないということらしい。

当初、Pruitt氏は多数の個体を同時に一つの時計で測ったのが原因だ、と言っていた。一方、個性研究では同じ状況に置かれた個体の反応の一貫性を見るために、同じ観測を何度も繰り返して行うもので、この研究ではこれをある実験操作の前と後でそれぞれ5回ずつ計10回行っている。こうして個性の強さに何が影響しているかを調べるのである。で、Pruitt氏の説明だと、まったく同じ数値は同じ観測としてとられたデータサブセットの中にのみ見られるはずだが、実際は異なる観測時のデータの間にも同じ数値が見られるそうなのだ。

ここにいたって第一著者は、自分の論文が信頼できないデータに基づいて書かれていると判断し、撤回を申し出た、ということである(まあ、これは普通に考えればコピペでデータを増やした、もしくは都合よく改変したという事になるから、この判断は当然だろう)。

この事件は、クモ研究の世界だけでなく広く動物行動学、いや自然科学全般に大きなインパクト(というかダメージ)を与えるもので、どうやら先週あたりから界隈では大騒ぎになっていたらしい。私は語学の壁で今日までそれを知らなかったという話だ。

現段階で不正なデータの影響がどの程度の論文にまで広がるのかはまだわからない。が、とりあえず現段階でも、「クモのイト」の記述に根拠がない部分が発生したことは確実なので、編集さんに連絡を取って、明日ミシマ社の「クモのイト」ページにこの件のお知らせを書いてもらうことにする。その内容は以下の通り。

【著者より重要なお知らせ(2020年2月4日)】

本書124ページ11行目から15行目にかけての段落には「集団で暮らすクモでは仲間との付き合いが長くなると個性が際立っていく」ことについて書かれています。このことは、Kate L. LaskowskiとJonathan N. Pruittによって書かれ、 2014年に英国王立協会紀要に掲載された“ Evidence of social niche construction: persistent and repeated social interactions generate stronger personalities in a social spider(社会的ニッチ構築の証拠:社会性クモで継続的に繰り返して起こる社会関係がより強い個性を生み出す)“という題の科学論文を典拠としています。

ところが、この論文が2020年1月29日に撤回されました。データの信頼性が失われたことがその理由です。そのため、本書の当該記述も根拠を失いました。読者の皆様にはご迷惑をおかけしますが、ここで書かれていることは事実ではないものとして本書をお読みいただきたくお願いいたします。

 

 このお知らせはとりあえず現状のもの、ということで、今後さらに撤回論文が増えると、さらに根拠を失う記述の部分が増えていくことが予想される。少し気が重い。

里帰り

今日は長谷川書店でトークする日。「クモのイト」が生まれたきっかけとなった長谷川書店では、出版記念トークをしようしようとずっと言っていて、いろいろあってやっと今日になったという。当初はお客さんの集まりに不安があったものの、関係者の集客努力により、前日には満席御礼。ありがたいかぎり。で、今回のトークの柱は出版に至る裏話で、もうなんかずいぶん昔の話でいろいろ忘れているので、過去の記録をたどりながら経緯を思い出すのが準備。こうしてみるといろいろあったなあ、という。で、会は18時半からで、自分の想い出話をするのは自分的には楽しいのだけど、お客さんにちゃんと伝わったの?どうなの?と後からヨメサンに詰められたのだけど、トークショーというのは話し手が楽しそうにしていればそれでいいんだ、というのが私の経験から得た知見であるので、ともかくそれでいいねんという話をする。次はクモ映画を語る会のリベンジである。終ってお隣のカレー屋で打ち上げやってお終い。楽しかったねー。

御用聞き

土曜日なのに冷えたお弁当を食べるために大学に行かなきゃならなくて辛い。三日目のお弁当を食べる用事は午前中に終るのが通例なのだが、そんな日でも夜にも配給があるのである。これが平日なら、仕事しながら配給を待つこともできるのだけれど、今日は土曜日だ。なぜそんな夕方まで大学に残らなきゃいかんのだ、と、昼過ぎに大学を去り、電車に乗って実家の最寄り駅に。髪が伸びてうっとおしいので馴染みの床屋で切ってもらうのだ。で、ついてみたらいつも暇そうにしているこのお店にお客さんがいるじゃないか。まあ良いことなので、ついているテレビをぼんやり見ながら待っていたら、田舎暮らしの番組が始まって、新人地域おこし協力隊に密着、みたいなのをやっている。ほほうと見てみると、映っているのは知り合いじゃん!!あれこないだまで学会にいなかったっけ?いつの間にこんなことを?とビックリ。いやでもまあ、マクロ生物学を修めた人がこういうところに出て行くのは素晴らしいことなので、ちょっと嬉しくなる。がんばってほしいなあ。と、さっぱりしたので、実家によることに。まあここまで来ているし顔くらい見せてもバチは当たるまい。っていうか、こういうのは普通の私の行動習慣じゃないのだけど、ヨメサンが行ってこいっていうものだから。そしたら「ちょうど良いところに来た。高いところの電球が切れて交換してほしかったんだ」と親が言う。もう私の親も歳なので、そんなときにうっかり自分で交換しようとして落ちたりでもされようものなら大変困るので、それはもうやりますやりますと交換する。良かったよ来てムダじゃなかったよ。ということで、何だかいろいろ嬉しくなってウチに帰ってくる。ともあれ、冷えたお弁当も今日で終りだ。やっほう。

すべて冷えたお弁当が悪いんだわ

今日も冷えた弁当を食べなきゃならない日。電話も待たなきゃいけないんだけど、こっちは今日で終り。よかったのー。しかし今日は効率が悪くって、他でも待ち時間が長くてイライラする。これ回避することできるのになあ。あげく人のことでオレが怒られたりしてなあ。知らんがなと思うけど、怒られるのも楽しいものでなし、今日が期限のタクシーチケットがあるからそれでお大名帰宅して「ジョジョ・ラビット」でも見てやろうと勇んでチケットを取ろうと思ったら、昨日までの上映スケジュールが変わってやんの。で、レイトの回がなくなっているのよ。しょんぼりよ。

冷たいは不正義

この時期恒例、昼晩と冷えた弁当を食べさせられる日。最近は温かいは正義をモットーにお昼はスープジャー弁当を続けている私であるからして、この教義に反する食事を強いられるこの時期はとても厳しい。しかも、昼はともかく夜なんか要らんのに配給されるのでもったいないから食べてるだけという。どうなのそれ。することもないので、冷えた弁当をとっとと食べて阪急で帰り長谷川書店によって日曜日のトークショーの申し込み状況を聞くと、まだだいぶん席が余ってるそうなので、帰ってきてSNSで宣伝に勤しむ。

電話ギライ

私は電話がキライで、何が一番イヤかってかけるのがキライなのだけど、かかってくるのもドキッとしてあまり好きじゃない。メールが発達した世の中は素敵よ。で、今日は某所に缶詰めになって、電話がかかってこないようにとお祈りするお仕事。ひたすらツイッター遊びとかして電話がかかってこないよう待っているのだが、待つのが得意な私とは言え、これはイヤなのよ。私以外向けの電話もかかってくるからそういうときは飛び上がっちゃう。けどまあとりあえずセーフだった。