海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

お呼びじゃない

近所に今年から使われなくなった田んぼがあって、来年から貸してもらえることになった。で、さすがにウチだけだと広すぎて扱いきれないので、ヨメサンが知り合いに声かけて、新しい場所は数家族で一緒に米作りすることになった。といっても1年放置してあったので草ぼうぼうに伸びているので、とりあえず集まって草刈りからやろうということに。私は多年草を掘り返そうとシャベル持参。で、1時間半ほどやってみて、5アールほどある全体の1割くらいを処理できることがわかった。これなら、人力でもできないことはなさそうだ。午後、駅前でウイスキーフェスティバルというのをやっていて、贔屓にしている近所の一軒家イタリアンがデザートを出しているというので覗きに行く。で、食べ物はそこで買えるから良いのだけど、メインのウイスキーフェスの飲み物がほしいと思ったら3500円で3杯飲めるチケットを買うしか方法がない。で、1杯ならともかく、昼間っから3杯も飲みたいとは思わないので、食べ物だけにするのだが、なんだかなーと思うわけですよ。どうしてわざわざ不便にするかな、って。で、会場には動員されたと思しき役場の人がたくさんいたので(見たところ1/3くらいいたんじゃないか?)若手の一人を捕まえて、1杯から飲めるようにしてくれたら良いのに、と言ってみたら、「この条件でも参加してくれる人だけを相手にするイベントなので」と返されたのである。なんじゃそれ?と思ったことはいうまでもない。で、ヨメサンに聞くと、なんかアーリーアダプターを呼び込むのが行政の目的らしいよ、と解説を受けたのだが、それが本当だとして、アーリーアダプターってのは、他の人がまだ気がついていない面白いものに目鼻が聞く人のことをいうのであって、イベントへの参加の敷居をあげるのはアーリーアダプターを呼び込むのとは関係ないんじゃないかなあ?と思って釈然としなかった。っていうか、これ役場が独善に陥ってるようにしか見えなくって、それは失敗の王道なのでは?

道案内

聖地巡礼リターンズ」を読んだ。内田樹釈徹宗隠れキリシタンの跡をたどる本。隠れキリシタンというと長崎だけど、それに京都と北摂の話もついてくる。って、これまるごと私のなわばりじゃん。読まないわけには行かない。というのは表向きの理由で、実際は秘かにファンであるところの下妻みどりさんが同行しているというのを知って、それで読んでみようと思ったのである。下妻さんの文章、なんか私のツボにハマって好きなんですよ。なのだけど、この本にはあまり載ってなかった。まあそれはともかく、中身はというと馴染みの場所が次々出てきて、それだけで喜んで読んじゃうっていう。いやそれはともかく、隠れキリシタンや殉教の話には、どうしても惹きつけられてしまう。今度はこの本と「11月18日を歩く」を持って長崎を歩いてみたいと思った。

 

大好き

朝ドラに本上さんが重要な役で出るというのは前から聞いていて、いつかナイツかなと思っていたところ、ついに今日だというので、ここは見ないといけない。なのだが、なんかぽかーんとする展開で、これ大丈夫なのか?と思ったという。しかも、重要な役という割には、出番は今日だけっぽい。いや、ひょっとしたら、またしばらくすると出てくるのかもしれないけど、当座は話が終わっちゃって舞台は別の場所に移るっぽい。ってことは私ももう見なくていいって事なのかしら。さて昨日やっていた原稿の直しは終わったので、次の書きかけのやつに取り掛かる。で、今日はグラフを作ろうということで、STATAで描いてみるのだが、今一つ。異なる処理群の間で信頼区間が重なっちゃって見にくいのだな。こういう場合、処理群ごとに水平方向に微妙にずらしてグラフを描くべしなのだが、それを一発でやってくれるコマンドが作られていることを発見して欣喜雀躍。かゆいところに手が届くSTATA大好き。

本来の祝日

祝日の木曜日。最近の私学であれば、こういう日は祝日授業になるのが普通で、私は木曜に授業があるので、呪詛の言葉を吐きながら大学に行くところだが、なぜか今年の学事暦的に祝日授業が無いのである。ということで今日はお休み。なんか大変に嬉しいのだが、ここで喜ぶというのは本来おかしいのである。祝日に休めるのは当たり前であって、喜ぶというのは祝日授業がある事を前提としている反応である。間違った状況に慣れてはいけない、と、自らを戒める。ともかく、そういうわけなので、懸案だった某論文の原稿を手直しする。

真の理由

夕方ヨメサンが京都に来ているという。聞けば、上原元国立市長を囲む関西の自治体議員の会に出るらしく、場所が私の帰り道の途中にあるマンションの一室のレンタルスペースである。それなら待ち合わせして一緒に帰ろうじゃないかということになるのは必然。で、5分ほど早く着いて路上で待っているとぞろぞろ人が出てくるのであるが、みんな女性である。ウチが待ち合わせしているのをラブラブで良いわねえと解釈されてしまう。いかにも女性らしい解釈であることだが、どこかで偶然近くにいることがわかれば、それは会ってみたくなるのは社会性生物であるところの人の本性なわけで、ラブラブとかまったく関係ないのが実情ではなかろうか。てなことを、この場で述べてもただの理屈っぽいオッサンになるので、「いやあ単に帰り道だったので」と恥ずかしがるふりをしてみた。で、どなたが上原さんだかよくわからず。暗かったし。つうことで、ヨメサンと帰りに伊勢丹によって、上の子用のケーキを買った。っていうか、これが本当の目的であって、ヨメサンはケーキを持って帰る時に振り回して箱の中でぐちゃぐちゃにする人なので、私が持って帰るのがマストなのである。

怒りのオルグ

上の子の学費を払う。この国が高等教育に冷たい扱いを続けることに対する怒りを忘れないために、口座振替はしないでわざわざ半年に1度現金で支払っているのだ。今日も怒りに震えながら、私の時の1年分より多い額を収めた。夕方は伸ばし博士に。コロナで3週間ぶり。またどれほど硬くなっているだろうかと恐れていたがそれほどでもなし。伸ばしてくれるおねいさんに、今の政府はアカンからちゃんと選挙に行きましょう、と訴える。

21年

もう1年たっちゃいましたよ。びっくりしちゃう。そんな今日は午前中に某学会の臨時のオンライン評議員会。元はといえば私が言いだしたことだが結構おおごとになってしまった。けど、やっといたほうがいいよねこれ。そして今日は高橋さん家のみかんが届いた。上の子が、柿に頬ずりして、皮でみかんが感じられる、とのたまったり。それはともかく、柿を送ったり梅干しもらったり梅を送ったりみかん送ってもらったりと高橋さんとの食べ物交流は続くのである。