海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

今日は「ぺ」

夕方Mぺさんがやってきたので韓国料理を食べに行く。

高学歴ワーキングプア」を読んだ。こないだの行動学会でK谷さんが持っていたのを横目で見ていて、まあ最近はこの手のが流行っているものだとしか思わなかったのだけど、帰ってきてAmazonで調べてみたら、なんと著者は私の前任校の卒業生でびっくりする(私とは数年差でかぶってはいないが)。前任校は小さい大学だったので、なかなかこういう機会はないのである。ということで、これも何かの縁と買ってみた。

中身は就職できない博士が世に溢れはじめている事について。大学教員としての私はずっと教養担当で大学院の所属になった事はないので、以下に書く事は評論家的な立場からの感想である。

私が大学院に進んだのは重点化の少し前で、その数年後からの院生急増を見て、いろんな教官に「こんな事を続けていたら就職難民が生じる事は自明だから今すぐ止めるべきだ」と訴えていたものである。というか当時からみんなわかっていた事だ。じゃあなぜこんな事態になったかと言うと、重点化をしようという意思決定の際に、学生の事よりも予算獲得とある種の面子が重視されたというのは的外れな批判ではないと思う。既得権擁護のために若者が食い物にされたと言うのは一つの真実だろう。

でもこれは、サービス業が飽和しきった社会の諸相の一つなのだろう。生産量が一定なのにサービス業従事者が増えれば互いに食いあわざるを得ないと言う。本書では、法律学を修めた博士の転進可能性の一つとして、障害者などに対する法律アドバイザーを提案しているが、これは大学業界に食い物にされた人に、もっと弱い人を餌にしろと勧めているようなものではないか。わかっているのだろうか?

それはともかく「早く大学に見切りをつけろ」という本書の主張には全く同感であって、機会があれば私も若い人にはそう訴えている。ところが最近ウチの子が「大きくなったら虫の研究をする!」とか言い出したのである。お父さん的には農業するか職人になって欲しいんだけどなあ。あとは医者。

高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

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