疲労が蓄積している自覚が出たので、1日ウチにこもってゴロゴロして過ごす。午前に一時間、午後に三時間昼寝できたので、よっぽどなんかおかしかったっぽい。
「「習慣病」になったニッポンの大学」を読む。この手の本にしては少し古いが、戦後の大学改革の歴史を紹介しながら、今の大学がどのような隘路にはまっているかを解説した本。結論としては、いつでも学べるように高等教育費は公で負担せよ、ということ。まさにその通りで、高等教育で学ぶべきことは決して知識そのものではなくて、もう一つメタな学び方を学ぶのが大学ですべきこと。であれば、これは本人の自覚がないとどうにもならない。知識を流し込むなら強制力が効くけど、学び方を学ぶってのは生き方を変えるってことだから、強制的には無理なのよね。で、今みたいに18歳で全員進学したって人それぞれなんだから、学び方を学ぶ準備のできていない人なんてたくさんいる。だから、学び方を学ぶには、もっと歳をとってからでも柔軟に進学できるような体制が必要。で、そうなると親の経済力に頼るわけにはいかないから、公的負担、とこうなる。いや、極めて筋が通っていて素晴らしい。全面的に賛成。高等教育は決して自分のためだけにあるんじゃないのね。民主主義社会では、いくら自分がしっかりしてても、まわりがいい加減な判断していると、あっという間に社会が悪くなっちゃう。だから、税を使ってでも、多くの人が理性的に考えられるようになってもらわないと困るのよ。それでまともな社会ができるんなら安いものですよ。
「習慣病」になったニッポンの大学―18歳主義・卒業主義・親負担主義からの解放 (どう考える?ニッポンの教育問題)
- 作者: 矢野眞和
- 出版社/メーカー: 日本図書センター
- 発売日: 2011/05/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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