海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

あちらの科学

いわゆる科学論文と言うものは、introduction→methods→results→discussionという順で書かれるのが普通であるが、実は私はいまだになぜdiscussionというパートが必要であるのか本当には理解できていない。観察したにしても実験したにしてもresultsがあれば、それ以上何を付け加える事があるのか、resultsを得るために研究しているんじゃないのか、という。

もう一つ不思議に思っている事があって、仮説にあわない研究結果が出た場合、discussionの中でなぜ結果が仮説にあわなかったかを論じることがほとんどである事だ。結果が仮説にあわないのなら、仮説を捨てるべきなのじゃなかろうか?

で、この本はそんな疑問に、日本と西洋における「自然」観の違いという観点から、非常に明快かつ興味深い説明を与えている。西洋的自然観に基づけば、真理は経験的事実の積み重ねとは別に掴まなくてはならないものであり、その行為を行うのがdiscussionなのだという。一方、日本の人為の及ばぬ自然は、ただあるものとして認識される。だから、resultがあればそれで十分だと考える私は日本人として全く当然の事を考えているに過ぎないのであるな。かつ西洋的には真理は必ずしも経験的事実とは対応しないのだから、結果があわない事が仮説の放棄には直接には繋がらなくてもかまわないのだとか。私的には、ずっと心の中にあったモヤモヤが晴れて、大変にスッキリ爽快。

神と自然の科学史 (講談社選書メチエ)

神と自然の科学史 (講談社選書メチエ)