海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

寝かしつけは暇

ウチの子は二人とも、うつぶせで顔を布団に突っ伏して腕を体にそって下ろし、両膝をついてお尻を高く掲げた状態でよく寝ている。よくあんな姿勢で寝られるものだと思うが、先週の温泉行でこの寝方はウチの子だけのものじゃない事が判明した。血のせいじゃなかったんだ。

そんな今夜、下の子が目を覚ましたので添い寝をしていた。で、下の子は件の姿勢をとっていたわけだが、時々両手をついて上半身を起こし、居間にいるヨメサンを探すのか声を上げ、なかなか寝つかない。さてはと思い片手を握ってみた。すると案の定すぐにスヤスヤと寝たのであるな。いや、こうして子供を育てていてよく気が付く事は、彼らが何かをする時に意志が先にあるのではなく、行為が先行してしかる後に意志がついてくる場合がしばしばあると言うことだ。今夜の例で言うと、下の子は別にヨメサンを求めて起き上がっていたのではなく、起き上がれるからヨメサンの事が頭に浮かんで寝れなくなっていたのだな。それが証拠に、本当にヨメサンが必要なら私の手を振りほどいても起き上がろうとするだろうが、下の子はそれをしなかった。彼は代わりに、手を握られた状態でできる事をした、つまり眠りに落ちたのである。

こういう事に気が付くと、まだ小さくて言葉によるコミュニケーションが十分取れない相手でも、子育てはグンと楽になる。相手に振り回されるだけじゃなくて、時にはこちらが「こうしてほしい」と思う時に相手にそうしてもらう事ができるからだ。何と言うか小さな子供は、心と体の間が、いや体の各部の間でさえ、まだ完全に統一されておらず、彼らの脈絡がないように思える行動は、そんな部分間の相互作用が思いもかけない結果を産みだすためであるように見える。だから、例えば手を握ってやる事によって、その相互作用の流れを少し整えてやることが有効なのじゃなかろうか。

しかし、よく考えてみれば、こういった事は小さな子供に限った事じゃないのかもしれない。大人だって、いや他の動物だって、多かれ少なかれ上のような観点からその行動を見てやれば、別の理解が得られるかもしれない。


今日はお昼前後にクモの世話+アザラシDBの作業を少し。帰ってきてベランダのカメ池の掃除。冬を越したメダカとスジエビ各一個体を確認。そうこうしているうちに子供たちが早く寝たので、昭島で「トム・ヤム・クン!」。希少動物を食べてはいけません、という話。なんか予算規模が増えたように見えるけど、逆効果だったも。。