海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

講義最終週

講義が終わりに近づく頃になると、卒業のかかっている4年生が授業の内容について質問しにくることがちょくちょくある。私の経験だと、こういう事をしてくる学生の多くは女性なのであるが、それはまあよい。今日もそんな人がやってきて1時間ほども質問攻めにされた。単位のためだとは言え、一生懸命なのは良い事だ。で、実効性比の話などしたのであるが、どうも彼女は比と言うのが苦手らしい。

この比が苦手な学生というのは、私のまわりにはそれこそ山のようにいて、思えば分数の計算のできない大学生というのもすなわち比がわかっていない人の事だから、この事象は決してウチの大学の事だけではなさそうだ。で、比がわからないという事は分数だけじゃなくて速度や濃度やらも軒並みダメなわけで、そういう人達が理数系を苦手とするのは当然の事といえる。だから昨今問題となっている子供たちの理数離れを減らすのには、小学校時分に比の概念をキッチリ身に付ける事が重要なのではないのかしら?と思ったりしている。

で、この間帰省したときに、小学校の算数の補助教員をしている妹と話した事であるが、幼児に対する算数教育の一つの目標は、1,2,3といった一つ一つの数字が具体的に物の数と結びついている事を理解させる事らしい。そう言われると、ぶーちんは1,2,3、、とは言えてもまだ数はちゃんと数えられない。

ところが、この数字という記号に具体性を帯びさせると言う目標はあるとき静かに方向を変えるそうだ。それが分数の導入である。分数も一個のケーキを4等分して1/4というときはまだ具体的な事物との切り離しは行われていないのであるが、20人を4つに分けると1グループあたりの人数が5人である事をもって、それを1/4であるとするのは、20人という塊を1として扱うことで初めて理解が可能になる。そして、この20を1とするところは、数字を具体的な事物の数と切り離して抽象化する事だということらしい。子供たちにとってみれば、これまで一生懸命やってきた事と真逆な事をやれと、それとはハッキリ意識させられる事なく要求されるのである。そりゃあできない子も続出しよう。

この数の抽象化というのは比の理解にとっても必要不可欠な事。ということは、これこそがキーである可能性がある。小学校の算数教育では、ここをいやっちゅうほど、落ちこぼれが一人もでないほどに丁寧に教えると、ひょっとしたら何か突破口が開けるんじゃないかしら?と「性比?」と首をひねっている学生を前にして思っていたのであった。