海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

低地順応

万座温泉は標高1800mにあり、つまり下界より10度ほど涼しいわけで、この三日間は極楽だったわけ。で、今回これだけ夕立にあったという事は、大気が不安定になっているという事だから、これすなわち夏の終わりに違いない、と期待して帰って来たら甘かった。全く持って暑いままだ。今年の夏は一体どういう事なんだろうか。

あんまり暑くて日曜でもあるし、もう一日夏休みを延長することに。上の子を「ベストキッド」に連れて行く約束をしていたので、それを果たすのだ。足なんて飾りです、という話。カラテは中国の物とちゃうで、という話でもある。原題はカンフーキッドであるべきだ。いやそれはともかく、子供がいるから吹き替え版を見たのだけど、そもそもウチの周りでは字幕版をやっていないのだな。ついに事態はここまで悪化したのか、という。子供向けのアニメとかならともかく、この作品なら大人も見るんじゃないかなあ。実写映画で吹き替えしか見られない状況ってほとんど悪夢だ。

で、幕が開いて、最初に流れるセリフはナレーションだったから受け入れられたけれども、次の母親が喋るシーンで、黒人女性の顔から強烈な声優アクセントというか表現の誇張の激しい吹き替え演技の日本語が吹き出て来た時は正直ずっこけたよ。他のお客さんはこれで本当に構わないのだろうか?ジャッキーチェンが出てきて、たまに中国語を喋る時は吹き替えが解除されて、そのときは異国で日本語を喋る人に出会った様な気持ちになった。

いや、映画を撮る時は一カットにも膨大な手間がかかっている訳で、俳優の演技も質の高い物になっているはず。一方吹き替えは短時間で作るわけだから、その演技面でのクオリティーが高くなることは望めない。で、感情の伝達ってのは決して言葉だけでなされるわけじゃなくって、声の張りや間の取り方とかのノンバーバルな部分に頼る面も大きいはず。オリジナルでは優れた俳優の質の高い演技のおかげで、ノンバーバルな要素も高いレベルで調整されていて、そこから生じる細かいニュアンスに支えられてキャラクターの感情が細やかに伝わってくる。だけど、吹き替え版だと、そんなレベルは到底達成されず、こちらに伝わってくるのは、出来あいのコンビニで平板な感情だけ。こういうことを続けると、観客の心から繊細さが失われて行くんじゃなかろうか、と9割5分は古参の映画ファンの八つ当たり気味の愚痴として、でも5%くらいは本気で思ったりする。

作品の出来としては、まあ普通。子供がカンフー習いたいと言い出すかと思っていたけど、それもなかったので彼もそれほど面白いとは思わなかったらしい。