海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

心の仕組み

演習科目で受講希望者が定員を越えたので、選考を行うために大学に出かける。「いやー、実はまだ正規の教員じゃないんだけど」とか言いながら部屋に入ると、来ている学生は定員より少ない。?ということは希望者全員受け入れれば良いのかしら?と思って、この大学の事は私よりも詳しいはずの来ていた学生さんに聞いてみたら、それでよいらしい。ということで、何しに行ったんだかわからないが選考は終わった。後から聞くと二時間かけてそのためだけに来た人もいたらしい。申し訳ない。

「心の仕組み−人間関係にどう関わるか」(上)ISBN:4140019700、(中) ISBN:4140019719、(下) ISBN:4140019727。前半は心を計算機械と見なし自然淘汰で心が進化してきたという進化心理学の立場と、それを説明するための視覚認知の話。中盤は抽象的な思考過程を対象にその論は拡がる。機械として理解しやすい視覚の話と心の中で起る現象である思考とをパラレルに提示するこの部分がこの本の上手なところだ。そして行動生態学の基本的な考え方の説明を経て、後半はヒトが進化してきた生態的背景の中で感情がどのように適応度を上げたと考えられているかについての紹介と、そうして進化した心が(適応と言う点では)間違った文脈で使われる事によって、いわば進化の副産物として宗教や芸術が生じたと言うお話について語っている。

前半は大変面白く講義のネタにできる部分がたくさんあったが、後半は高尚なT内久美子という感じで、進化心理学ってなんだかなあなのか、はたまたT内久美子ってもっと学問の世界で評価されても良いのかなあ、なのかどっちだ?

それはともかく最後の部分。人間活動の中には進化のバイプロダクトとして理解すべき部分があるというところはポイントで、人間でそうであるなら他の動物でもそうであろう。で、動物がある特定の目的のために進化した神経細胞による情報処理機構(ヒトで言うところの心)を非適応的に別の目的に利用したとしても、それが1個体だけであれば特に重要なものではなく研究対象にはならないと思うのだが、多数の個体が行うのであればそれは生態的に重要なものになるのであるからして、動物の生態を研究する上でも心の目的外利用については避けては通れないところなのだな。認知生態学というのはそういう問題意識から生まれているのだろうか。行動生態学が心理学に影響して進化心理学が現われ、それが今度は行動生態学に影響して認知生態学が現われたのであろうか。

一方で、認知生態学は動物の行動を観察する事で、その行動がどのような生態的背景で進化してきたかを推論する学問でもかまわないかなあとも思う。

どうでもいいが、この本の中でなぜフロイトは「男は母親と寝たがる」という説を思いついたかという話があって、たいそう面白かった。そういう説は私の生活実感とあわないと言うか、母親を性的対象として見なすなんて考えもつかないと思っていたのだが、この本の説明によるとどうもフロイトは実の母ではなく乳母に育てられていたのが原因らしい。つまりヒトには子供の時に自分の世話をしてくれた女性を母と認知し性の対象から除外するという心理的カニズムがあるのだが、フロイトが性欲を覚えた母と言うのは生物学的には母親なのだが、認知的には母でなかったということらしい。いやしかし、昔から不思議に思っていた事が認知世界という考え方でスパッと解決されて大変気持ち良かった。