海の底には何がある

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今日の怒り心頭

大学教員:研修義務化 講義レベルアップで 08年度にも


文部科学省は大学・短大教員の講義のレベルアップのため、全大学に教員への研修を義務付ける方針を固めた。来年度に大学設置基準と短期大学設置基準を改正し、早ければ08年4月にも義務化する。研究中心と言われる日本の大学で、学生への教育にも力点を置く必要があると判断したもので、「大学全入時代」を迎え、学生の質の低下を懸念する経済界からの要請も背景にある。具体的な研修内容などは今後、中央教育審議会で検討する。【高山純二】
 対象となる教員は大学約16万2000人、短大約1万2000人(05年度現在)。
 教員の教育内容や方法の改善のため、各大学で組織的な研究や研修をすることを「ファカルティー・ディベロップメント」(FD)と呼ぶ。文科省は99年9月、大学と短大の設置基準を改正し、FDの努力義務規定を盛り込んだ。これによりFDを導入する大学は年々増加し、04年度は全大学の約75%に当たる534大学が実施した。
 しかし、各大学で現在行われているFDの内容は講演会の開催や研修会、授業内容の検討会など座学中心で、実効性や効果を疑問視する声もある。また07年度に大学・短大の志願者数と定員数が同じになる大学全入時代を控え、経済界には「企業で戦力として使える人材となるように教育してほしい」と、大学教育の充実を求める声も強い。
 今後、具体的な研修内容は中教審で審議されるが、各大学ごとに建学の精神や求められる教員像が異なっており、「統一のガイドライン作成は慎重にすべきだ」という声もある。
 一方、大学院は既にFDが努力義務規定から義務規定に改正され、来年4月から義務化される。
私は、この記事が想定するようなFDは茶番にしかならないと断言できる。

どのような教育の方法が優れているかは、教えるべき内容に依存する。一方、大学での講義は、(少なくとも建前上は)個々の教員の専門性を基盤にしており、必然的にその内容は個別性の高いものとなる。このため、義務的な研修の場で、どこかの誰かによって作られた「素晴らしい教育方法」が下りてきたとしても、それが教育力の向上に繋がることはあまり期待できない。本当のところ、講義をより良いものにする手助けができるのは、受講生だけである。だから、もし大学で提供する講義の質を高めたいと真剣に考えている人がいるのであれば、個々の講義を聞く事から始めるべきである。全てはそれからだ。

それに、ある学生にとってのくだらない講義が、他の学生には素晴らしい講義である事は決して珍しいわけではない。私の目には、優れた講義ができるようには到底見えない教員でも、必ず何人かはファンの学生がいるものなのだ(その意味で、私の目は間違っている)。何度も言うが、学生は多様だ。いろんな方向を向いた、いろんな癖のある講義がたくさん存在する事で、総体として多様な学生に向きあっているのが大学である。FDの名の元に、標準化規格化を進める事は大学を殺す事に他ならない。

だから、心ある大学なら、もし本当にFDが義務化されたとしても、すぐにそれを骨抜きにするだろう。そしてFDを実行する主体が個々の大学である以上、それは容易な事なのだ。文科省は、人員を配置して、定めた通りの効果を持つようなFDが行われているかどうか監視でもするつもりなのだろうか?