海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

酸っぱいブドウの重要性

金沢大は山の中と聞いていたが、まさに山城のような大学だった。小さな私学や単科系大学ならともかく国立の総合大学がこのようなロケーションにある威容であることよ。で、発表を聞く。魅力的なオスと繁殖すると子供の性比がオスに偏るグッピーとか縦縞模様の前で体に縦縞模様を出すコウイカとか托卵されたときに雛を排除する行動が初めて見つかった話とか。しかし、例年と比べて講演中止になってたポスターが多いような気がしたけれど、演者は山腹で力尽きたりしていたのだろうか。

総会にてMぺさんの下品発言。

懇親会はKKRホテル。料理の水準は高く量もたっぷりでコーヒーのサービスまであったりして、昔は5分で食物が無くなった事もある行動学会懇親会の水準もここまで上がってきたのかと涙する。しかし、昔のトラウマを引きずる古参会員たちは、会場が開くと直ちに料理テーブルの前に陣取ろうとするハビットを変えないのであった。

二次会では、学会賞の是非話。私個人は賞は好きではない。研究の良し悪しについての評価はもちろんあるわけだけれども、そういうのは評価する個人個人によって違うべきもので、集団全体としての意志に馴染まないと思うからだ。しかしながら、分野間競争に勝って就職や昇進を有利にするために行動学会でも賞が必要だと言う主張は理解できる。ということで、いろんな賞をたくさん出すというのが妥協としての方向性かなと思う。で、この方向を暴走させて、1度学会員全員に賞を出してしまえ、という妄言を吐いてみる。会員の投票で賞を出す事にして、同数の票を集めた候補がいた場合はいずれもを受賞者とするという規程を作る。そうして会員全員が自分に投票すれば、規程に則った珍事として全員受賞と言う事態を作れるよねえ、と言う。酔ってますねえ>オレ。

しかしまあ、賞とかをやろうとすると選考の公平性・客観性をいかに高めるかということが議論の中心になる事が多い。それは、万人がその賞を意義あるものとみなすために必要だと考えるのだな。しかし私は、仮に誰から見ても完全に公平な選考が実現したとして、それって本当に幸せな状態なのか?という疑問を持ったりする。どこかおかしな部分のある選考方法に基づく賞であれば、もらえなかった人は「オレが選ばれなかったのは選考方法に問題があるからだ」というエクスキューズができるわけだけれども、非の打ち所の無い選考方法による賞の場合ならば、「オレってだめなんだ」という結論に達さざるを得ない。私はそれは悪影響の方が多いと思う人なのよ。だから賞と言うのは「あんな賞はだめだよ」という人が一定数いるものでないといけないと思う。と言う発言を別の場所でチラッとしたら「でも、スポーツ選手のランキングとかは完全に客観的な指標で決められている」と言われた。うーん、私はスポーツのそういう優劣があからさまにわかるところが昔から嫌いだったんだよなあ。