海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

野次馬根性

この間の帰省では、ヨメサンの実家には一泊だけという不義理をしたのだけど、今日はそのヨメサン家族がヨメサン姉宅に大集合と言う事でウチも参加。ダッチオーブンを持参して、豚バラの塩釜焼をやってみた。2kgの塩に4個分の卵白を混ぜ、塊肉の周りを包んでダッチオーブンで1時間焼くだけ。極めて簡単なのだけど、キッチンダッチを使ってコンロで焼いたら、塩釜上部が上手く焼けなくて、コチコチの釜をハンマーで割って肉を取りだす、というのができなかった。中身はおいしかったけど。キャンプで再戦したい。

帰省中の事、おじいちゃんがテレビで宇宙人がいるやらいないやらの番組を見ていた。すると上の子が怖がって大泣き。チャンネルを変えろだのテレビを消せだの大騒ぎ。すると悦ぶおじいちゃん「宇宙人を探しに行こう」だの言って更に上の子を泣かせる。事態を収拾すべく「宇宙人なんて怖くないよ」とか「本当の事を教えてあげよう。宇宙人ってのはウソなんだよ」とか言ってもパニクった上の子には効かない。幸い、すぐに帰る時間になったのでおいとまして事は終わったのだな。

で今日。ウチの子はヨメサン姉宅にお泊まりする事になった。いとこのお兄ちゃんもいるしおじいちゃんおばあちゃんもいて賑やかだし、親がいない不安より楽しそうだとの期待が勝ったと見える。とはいえ「土壇場私らが帰ろうとすると、自分も帰るといいだすかも」と思っていたら、やっぱり上の子が「ボクも帰る」とぐずりだす。で、ヨメサンが色々説得して、予定通りになりかけたところでおじいちゃんの登場だ。「おい宇宙人を探しに行こう」。怖いものを思い出した上の子はもうイケナイ。こっちにしがみついてきて離れそうにもない。困ったなあと思いつつ、でも前のように「怖くないから大丈夫」と言ったところで届かないに決まっている。私だって経験から学ぶのだ。そこで少し考えて「じゃあお父さんたちは帰るけど、もし宇宙人が出てきたら、どんなんか見てみたいから電話しなさいね。飛んで来るから」と言ってみたら、上の子が笑いだした。ケロッと怖くなくなったらしい。

確かに「怖い」と言っているところに「怖くない」と言ってみたところで、相手が「お前は怖くないかも知れないけどこっちは怖いんだ」と思えば決裂である。さらに「怖くない」と言いつのる事は宇宙人は怖い事があるという枠組みの中に無意識に位置づけていることになるわけで、ただ決裂するだけじゃなく怖さをもっと強める事にさえなる。だから今回のようにその枠を「見てみたいもの」にずらしてやることで、怖さがどこかにいってしまったらしい。言葉がヒトの心に及ぼす影響ってのは面白いねえ。と言う事を渋滞の夜の首都高で考えながら帰った。