海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

いつかシェーと言わせたい

「日本辺境論」を読んだ。その最後の方に、欧米では学術用語と生活言語が分離しているが、辺境人であるところの日本人は外来の用語を生活言語に取り込む習慣があり、生活言語を用いて学術概念が語られる、という趣旨の事が書いてあった。それで思い出した事があって、まだ私が院生になってすぐの頃、今は美食の国に勤めているチョコの国からきた研究者の京都観光のお供をしていて、アリの社会で働きアリがコロニーの繁殖個体になっている現象において、その繁殖個体をなんと呼ぶかという話になったのだった。私は「そういうことをするのは女王って言うんじゃないのか?」と尋ねたら、彼は「いや、女王と働きアリは形が違うから、厳密な区別のためにgamergateと言うのだ」と答える。そこで「gamergateなんて普通の人には判らない言葉じゃないか。女王で良いやん」と反論したら彼は「普通の人なんて関係ない」とピシャリ。あの時彼がフンとならした鼻の音のザマスな感じだった事よ。ちょっと悔しかったけれど、そのときの私はまだルーキーのルの字だったので、そんなもんかと思って以降はその用語法に従ってきた。しかし、こうして思うと私と彼の対立には中央と辺境の違いと言う文化的背景があったのだなあ、と。そうわかっていたらあのときもっと反論できたのになあ。

日本辺境論 (新潮新書)

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