海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

屋根裏部屋派

魚眼レンズを使ってギンメッキの網がある場所での全天写真をとってみた。普通に採集するよりもずっと長い時間を同じ場所で過ごさなきゃならないので、暑さに負けて「これくらい許して」と思って履いたサンダルでわずかに露出する皮膚からヒトスジシマカの生態的成功につながる液体が大量に流出して行った。かゆくてたまらん。明日からちゃんと靴下と靴で。

写真をとった網のクモは実験室に持ち帰って体色測定。こちらはクモのクローズアップ写真が必要で、これまでの網を張ったクモだけ撮影というような悠長な手法は適さない。ということで、撹乱すると動揺して走りまくるクモの動きをどうにかして止めなきゃいけない。冷蔵麻酔もいいけど、お腹を上にひっくり返られてその向きを直している間に温度が上がって麻酔が切れそうな気もする。ということで以前ハイジの国の共同研究者が論文に書いていた方法を試すことにする。すなわち紙コップを二つ用意して、一つの底をくりぬいてサランラップを張り、重ねた紙コップの底と底でクモを押さえこみサランラップを通して観察する、というやつだ。で、材料をホームセンターで買ってきて、トライしようと思った所、よく見ると紙コップの底には淵が立ち上がっていて、底と底が密着しない。でもこれがクモを挟んでみるとラップがクモの体に張り付くことで動きを止められるのであるな。よくできた仕掛けだと感心する。

夜、結局トイ・ストーリー3を見に行った。二作連続で物を捨てる話を作るかなあピクサーはよう、という話。いやよくできた映画だと思うけれど、物を捨てられない私としては、こう続けざまにやられると反発したくもなるのだよ。物を大事にとっておくと成長できないのかい?そもそもそんなに成長するのが大事なのかい?と。うがっていうと、物をどんどん捨ててもらわないと消費が起こらないので困るってことなんじゃないのか?と。捨てる側の愛情と哀切を美しく描いていて新しい引き取り手もいるのだけれども、結局都合良く捨てていることには変わらないじゃないか。釈然としない。