海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

踊りの効用

どうでも良い話だが、ヨメサンは沖縄に行った事がない。でも「那覇といえばパレットくもじ」という認識を持っている。まだ結婚する前、古巣の研究室の院生と沖縄で合流する際の待ち合わせの相談をしているのを横で聞いていて、その音の面白さが記憶に残っているらしい。で、今回も「パレットくもじには行くのか?」と私に訊ねていたのであるな。確かに、今年も初日に学会会場から繁華街に行くのに雨だったのでタクシーに分乗したのだけど、その時の待ち合わせがモノレール県庁前駅で、それはすなわちパレットくもじ前だったという。

というわけで学会も最終日。今日の午前中は、昨年亡くなった日高さんの行動学に与えた光と影を考えるというラウンドテーブル。聴衆を含めた参加者の平均年齢が異様に高かったわけで、つまりこれは年よりの懐古の会だったのだな、という。こういうものの必要性は若い時にはわかんないよなあ。

途中、第二の日高さんの必要性という事が語られていたけれど、あれは日本の社会に、無駄を許容し、そこから生まれてくるものを評価する余裕というか隙間があった時代の反映であって、あの時代は一講座の人の持ち出しによって支えられていたという事はもっと強調されても良いんじゃないかなと思う。で、それが可能だったのは、そこにいた人達が、そうしていても何とかなるさと(ホントだったかどうかはともかく)思っていたからなのだけど、それには全く根拠がないわけでもなかったというのがMぺさんの話だったわけだ。で、そういうものをギリギリ締め上げていった結果が今なのだというのは、考えなきゃいけない事のような気がする。

総会等を経て懇親会。4時から飲むという。イレギュラーな時間帯での開催のせいか参加者が少なくまたお腹も空いていなかったのか料理が一瞬でなくなる事はなかった。私もちょっとしか食べず。途中踊りの時間になって、午前中の話とつきあわせると、ここで踊るのはとても重要だと思って、Mぺさんのように舞台に上がるのは憚られたけど、フロアで少しだけ踊ってみた。

というわけで楽しい行動学会もあっという間に終わり。今回はあんまり面白い研究の事は書けなかったのだけど、その理由の一つが、学会の会議に出席するために、人の話を聴く時間が少ない事。だけど、今年でいろんなお役目をいったん下りる事になったので、来年からはもう少しお勉強もできるようになるはず。