海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

厚化粧

晩ご飯を食べて加湿吸入器で喉を潤していると西方からメール。"I am now happy to accept your paper for publication in XXXXXX XXXXXXXXX subject to several minor changes"との事。ひゃっほう!これで異動後の論文無し期間が一年で終わる事が確定。過去二回は異動後最初の論文が出るまで三年かかってたことを思うと、わしも成長しているのよのう、と思って嬉しくなる。さらに、異動後に限らずいつだって「1年間論文が出なかったらどうしよう?」と思ってるのだけど、来年分のプレッシャーが既にこの時期に解消されていると言うのは良いものと言える。

いやしかしこの論文、実を言うと10年以上前に南の国のMH女史が出した論文の焼き直しで、しかもその論文が行った実験二つのうちの一つだけを、別のクモでやりましたというだけの、いわゆる銅鉄研究的なもので、でも別のネタへの展開の伏線として必要だからやりましたという。そんなわけで、自己評価的にはまあどこかに載せてもらえればそれで良く、クモ学の専門誌とか行動学関係だとしたら弱小誌あたりが妥当だろうと思っていたわけ。とはいえ論文なんてものは「これはすごい研究なんだ」と自己暗示をかけながらじゃないと書けないわけで、私の使うクモは特殊なものでもありその辺を考えているうちに、クモの行動学を越えて、もちょっと一般性の高い文脈上に実験データを位置づけられるような気がしてきた。こういう気持ちに臆面もなくなれる鉄面皮を身に付けられたのが成長の本質かと思うとちょっとヒヤッとする部分がないでもないわけだけど、ともあれそういう原稿を書いて、これまであまり投稿した事のない分野の雑誌に出してみたら、あえなくリジェクト。その分野のデータの質の基準を満たしてなかったらしい。今回二種で同じ実験をしてその比較をしたわけだけど、私が設定したテーマにアプローチするなら二種じゃ少な過ぎて最低六種を使って実験しろとの事。私の今の状況でデータを三倍にするのはちょっと無理。そもそもどこかに載りさえすればいいやと自分で思っているネタにそこまでの労力はかけられないわけで、やっぱりちょっと高望みだったか、とガックリするわけだ。しかし、コメントを良く見ると「今のままなら行動学の論文だから、そっち関係の雑誌に載せたら?例えばXXXXXX XXXXXXXXXとか?」とか書いてある。えー?でもXXXXXX XXXXXXXXXはIF的に言うと、この雑誌よりも格上なんですけど?到底通らないよ。でも折角言ってくれたんだからなあ、と付和雷同な私が勧められるままに出してみたら、今日アクセプトになってビックリだったという。前も一度リジェクトされた後に格上の雑誌に出して通った事があるけど、あの時は追加実験して質を高めた上での再投稿だったわけで、ほぼ同じ原稿を格上の雑誌に出し直して通すなんて初めて。良いんだろうか?

そんな風に元々高嶺の花と思ってたわけで、半月前に最初に編集から「論文の一般性と新規性がよくわからないのでアクセプトできない。でも大幅に書き直せばもう1度考えてやる」というメールが来た時も、一瞥してすっかり「こりゃだめだ。やっぱ良い雑誌は適切にこちらの弱点をついてくるなあ」と思って、その後のレフリーコメントも読まずに投げ出したという。だけど次の日に立ち直って良く読むとどうもレフリーは二人ともminor revisionと判定しているように思われたので、これはひょっとして通るかもと言われた通りに直して昨日投稿したのが今日に至ると言う。いやー、論文の持つ実力以上の雑誌に載ったような気がしないでもない。

とはいえ嬉しいのは嬉しいので、必要なminor changesにすぐさま取りかかる。図を書き直せといわれて、illustratorはウチのMacBook Airにないので、今日は繋がるVNCで研究室の母艦を操作して作業。21時半に原稿を送り出す。で、喜んでいるとヨメサンがお祝いにと赤ワインを出してくれたので飲みながらfacebookに書き込むといろいろ反応をもらえて、その返事として「環境が変わると、それがきっかけで「もう論文書けなくなるんじゃないか?」と、いつも不安になるのですが、こうして1本出る事が決まるとその呪縛から開放されるのでありがたいんです。」とか書いていたわけだ。しかし後から良く考えてみると、今回のは東京(多摩だけど)時代にとったデータを使った論文で、最初に原稿を書き始めたのも向こうにいた頃だったわけで、そういう意味では、こっちに来てからとったデータでこっちに来てから書き始めた論文を通して初めて完全に呪縛から解放される事になるはず。というわけで次の矢だ。