海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

これも一つの少子化の影響

およそ民主主義社会で新興政治勢力が自責的である事はあまりないのであろう。自分たちの主張する体制に賛意を集めるには現在の状態を攻撃しなくちゃならないわけで、どうしたって他責的になる。でポピュリストは現行の体制そのものじゃなくって、その周辺にあるあまり力が無くて敵に回しても怖くないところを専ら攻撃するのが一つの特徴かと思うが、難しいのはそのさじ加減であって、他責が自己目的化して攻撃の対象を闇雲に拡げてしまうと本来の目的である賛意の簒奪に失敗してしまう。あの大将はその点においてはさすがに有能なようで今回はサッと身を引いているわけだ。という事で、今回かの条例案はさすがに通らないだろうけれども、ではさじ加減的にはホントのところどのへんが最適なのかと考えると、理論的には攻撃対象が全体の半数を越えなければ良い事になって、今や日本では人の子の親は集団の半数以下しかいないのだから、ゆめゆめ安心していてはいけないのではないか、という。

っていうか、「親学」を推進すべく条例を作ろうとする人たちが、教育に関してこんないい加減な知識しか持ってないのって何か悪い冗談なんじゃないかと思う。