海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

ダブルスタンダード

ヨメサンとぶーちんが反対語遊びをしている。
ヨ「ぶーちん、あに、の反対は何?」
ぶ「おとうと!」
ヨ「正解。じゃあ今度は難しいわよ。おば、の反対は何?」
ぶ「、、、わかんない、、、おばあちゃん?」
ヨ「ブブー。おじ、よ。」
いや、このへんで私はなんか胸にわだかまりを感じていたわけだ。
ヨ「じゃあねえ、おとうさん、の反対は何かな?」
ぶ「むすこ!」
ヨ「ブブー、おとうさんの反対はおかあさんよ」
ぶ「だーって、おかしいよ。あにのはんたいはおとうとやん」
なんと!それだ!それだよ!!
ヨ「?何言ってるの。おとうさんの反対はおかあさんでしょ」
私「いーや、それはぶーちんの方が筋が通ってる。だって、兄ってのは弟か妹がいて初めて成立するもので、っていうか、弟や妹にとってお兄ちゃんはお兄ちゃんとしてしか呼びかけられないもの。で、最初はそういう存在をもって反対なものとしているのだから、お父さんを成立させる、もしくはお父さんをお父さんとしか呼べない存在であるところの息子ないし娘が反対語であると言うべきだ。で、兄の反対を同性の弟としたのだから、父の反対は同性の息子である、というのは論理的一貫性に基づく帰結である」
ヨ「何言ってんのよあんた」
私「そういう意味で、おばの反対がおじというのもおかしい」
ヨ「じゃあなんだって言うのよ」
私「姪、が正解であるべきだ」
ヨ「、、、、ちょっと、上の子。優しいの反対語は何だと思う?、、、」

いやしかし、実は私も兄の反対が弟で、お父さんの反対がお母さんだというのに感覚としては同意できるのだ。だとすると、この感覚ってのは一体何を根拠にしているのか、ちょっと不思議である、という話。