海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

落ち穂拾い:Money never sleeps

私はGWで1週間休みだが、子供の学校はあるし、ヨメサンは説明を受けるべく議員として初めて役場に行かなきゃならんし、で、朝が早い。なんとか7時ごろに目がさめるも、二日酔いでどうにもならず、私は二度寝。10時ごろ再び起きてギンナガまぐわらせてみるもかなわず。3時間近く無駄にする。午後も眠って、夕方やっと本調子に。まあ休日としての正しい過ごし方であると言えよう。夕方散歩に出かけて、駅前の本屋のご主人と、来月やるお話し会第2段の、打ち合わせというほどでもないとりとめもない話をする。そろそろどんな話にするか考え始めなきゃいけないんだけど、前回なに喋ったか、ちゃんと覚えてないんだよなあ。

さて久しぶりに選挙の話。前回書いたように、ウチはお金かけなかったのだけど、それができたことには、供託金がなかったのが大きい。いやこれまで知らなかったのだけど、供託金が多額なことで知られる本邦の選挙だが、町村議員の場合は必要ないのである。っていうことは、極端な話、立候補だけして選挙活動まったくせずに選挙ポスターは手書きのものでも貼っておけばどんな結果になっても金銭的なダメージはゼロ。ウチの場合はそこまでサボったわけではないけれども、供託金がなければ別に票もらえなくても痛くもないし、という姿勢を取れるわけで、必死で資金投入して勝ちに行くという感じでもなかったという。

で、ウチの町なんて横幅3km、縦に1kmくらいに市街地のほとんどが収まるわけで、自転車で十分回れるサイズ。選挙カーなんて要らない。もちろんそうすると露出度は下がるので、「名前を聞かなかったけど大丈夫か?」との反応を選挙期間中は多くもらったらしいのだが。とはいえウチの町の場合、当選ラインは700票。この票数でこの町域の狭さ。足で稼ぐので十分だし、そういうやり方を行うメリットもあると踏んだわけ。そして、選挙って本来そうあるべきだというのもある。そして、もし見込みが外れても供託金はない。痛くもかゆくもないわけよ。ということで、市民の政治参加のためには供託金を廃止し、かつ基礎自治体の規模を小さくして1000を切るラインで当選するくらいにすると、立候補しやすくなってよかろうもんと思うがどうか。