海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

冷静になった

一昨日最終回を迎えたエルピス。見終わった時は、そうか良かったなあとか思って感動していたのだけど、一晩寝て昨日あたりから、何だか釈然としない思いがもたげてきたのでここに書きだしておく。イヤ私がラストの何に感動したかっていうと、主役の二人が美味しそうに大盛りの牛丼食べてるところに3人目が合流するところだったのだけど、その満面の笑みがやっぱり釈然としないわけですよ。イヤ確かに大本の話はこれで解決に向かうかもしれないけど、9話で展開されたプロットが浮かばれないじゃないですか。あれはあれで大事なのであって、取引材料として捨てざるを得ない状況になったとして、それを忘れて満面の笑みを浮かべられる話じゃないはず。なので、ドラマ上の要請で最後は笑顔を出さなきゃいけなかったとしても、そこに至るまでには屈託というか複雑な心の動きというかがないとおかしいわけですよ。確かに、このドラマは現実は複雑でそう簡単には行かない、っていうことをテーマにしているのだから、すべてを解決してハッピーエンドにしないというのはわかるし、こういう部分を解決するのは視聴者だ、ってつきつけてくることの意義もわかる。けど、やっぱりドラマの中でそれにまつわる感情を登場人物がすっ飛ばすのは変でしょう?と思ったのが1つ。もう1つは、あの状況で交換条件を出す必要性がどこにもなかったこと。劇中でも語られていたように、自分もやめる覚悟があって番組が潰れようが局がどうなろうがたいしたことないと思ってるのであれば圧倒的に立場上は有利なのであって、上っ面の説得を受けたって、それを受け入れる必然性はどこにもなかったはずなのに、なぜああいう方向に話を持っていったのかと言うのが疑問として出てくるわけよ。あれは、すべてがハッピーな終わり方を避けるために無理やり話を展開させた、ある意味ご都合主義的な脚本だったようにも思えるのね。ご都合主義的というと、9話で描かれたことも、このオチのためだけに出してきたプロットだということに結果的になっていて、それってどうなの?と思うのよね。ここまでの回がほとんどパーフェクトだった事を思えば、この最後の処理はずいぶんと粗っぽい、というのが2晩たった今の私の考えになりましょうか。思うに、後一回放送回があればこのあたりを納得いく形で処理できたような気がする。なぜそうしなかったのだろう?

 

ところで、今日「世界の何だコレ!?ミステリー」という番組に出演したのである。なんか南アフリカで空中を糸が飛んでいる映像が撮られたらしく、バルーニングだということなのだけど本当か?という話で、まあその可能性はあるわねえと思って映像を見たら、かなり長い糸で、かつ遠くから撮られているので、正直バルーニングかどうか分かんないという話をして、でも積極的に違うという根拠もないし、という煮え切らない答えをしたら、その映像を使われたという。で、私としてははっきり答えられなかったこともあってあんまり宣伝する気にもならず、ここまで放置してたわけ。とはいえさすがに自分が見ないわけにもいかないので見てたら、私の前の鳥のネタで松原氏がコメントしてて、ああこれなら私でも答えられるネタじゃんいいなあ松原氏簡単な話で、と思ったりした。で、放送時には既に見ていたビデオが流れただけで、番組は流れていった。で、幸い、見ている人はあまりいなかったのか若干反響があったけど、誰かからお叱りを受けたりはしなかったのでホッとしているところ。