海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

リベンジ成功

地元でバードウォッチングイベント。一昨年やって大変楽しく、去年は雨で中止になったやつだ。10日ほど前から天気予報にかじりつきで今年は晴れるかどうかチェックしていた。で、最初は今日の前後がずーっと雨でなんとか今日だけ曇りだったところ、それがここも雨に変化して、もうダメだ二年連続で中止か?と諦めそうになったところ、1週間前には再び曇りに変わり、日が近づくにつれてどんどん予報は好転していき、結果はきれいな晴れだ。しかも暖かい。薄手の長袖シャツ一枚でいけるよ。つうことで8時45分に最寄り駅に着く。今年は学生の参加は一人。あと元衆議院議員のO辻さんも参加。ごついカメラ持参でガチだ。9時スタートでまずは田んぼに。狙いはケリ。ここのところの雨で冠水している田んぼで営巣しているケリはどう過ごしているんだろう?と思っていたらば、ちゃんといて、巣は周りより少し高くなるようワラとか積んで作っていて、池の中にポツンと浮いた島のようになっていて、そこにケリが座っているという姿を見ることができた。なるほどこれはよくわかる。そして淀川河川敷に出てキジが鳴く中、ホオジロやらオオバンやら見た。クモ糸を取ってるエナガも見れた。声しか聞こえなかったものも含めて全部で35種。楽しかった。13時過ぎ解散。どうでも良いけど講師の先生曰く、2月にはコミミズクがいたそうな。2014年の大フィーバー以来河川敷の遷移も進んでもうコミミズクは来ないのかと思っていたけど、たまにいるらしい。油断してはならない。で、帰ってお昼を急いで食べて、新しい田んぼに。みんなで集まって春に向けての整備。畔をちゃんと作らなきゃね、ということで喋るで土を盛る作業を16時まで。くたびれました。

メッテルニヒ

研究室で学生と面談。疑うわけではないけどこの御時世何が起こるかわからないから録音しておく。これ、研究室にいる時は自動で音声ログ取って定期的にファイルをrotateするようにしたいのだけど、Macで良いアプリないですかね?夜は某出版企画の会議。これ、企画が動き始めた時にちょうど学部長になってしまったので執筆だけはするけど編集側になることから逃げることに成功した案件だ。しめしめ上手くやったわい、と思ってサクサク自分の部分を書いて高みの見物をしていたわけだが、研究者が集まって原稿を書く企画がスムーズに進むはずもなく気がつくと学部長だった頃ははるか過去になり、こないだ執筆者の一人であるとことの某巨大学会の会長から「あれの出版はどうなってるんだ?」と怒られたりして、結局編集サイドに巻き込まれてしまった間抜けが私。まあしゃあない。しかしねえ、この編集会議も研究者が集まって行うものである。まあしゃあない。で、最後「みなさんがんばりましょう」なんてガラにもないセリフを吐いてみたり。ともかく早く片づけたい。

イノベーション

授業準備でオンデマンド動画に修正すべき点がないかどうかチェックするわけだが、これが時間がかかってうっとおしいということは既に書いた。が、必用は発明の母であって、15本ある動画のうち5本くらい見てもうどうにもいやになったところで、ピンと来たのである。今やAIの時代だ。動画をAIで文字起こしして、それを読めばもっと早くできるし、自分の声を集中して聞かなきゃいけないっていう耐えがたい作業もしなくてすむじゃん。なんつうか聞いてるのって楽しくないから、フッと気がつくと別のこと考えちゃって何やってるかわかんなくなるんだよねえ。文字読んでたらそんなことは起こらない。しかもオンデマンド動画はゆっくり喋っているから文字起こしの精度も高いぞ。あー、こんな素晴らしい方法を思いつくなんて、オレってばなんて天才なんでしょう。

下請け

U丸さんのところでは志ある高校生を角って研究活動をしてもらってそれを支援するプログラムがあるらしい。高大連携なのか青田刈りの一種なのか知らんが大変なことである。で、どうやらこれはSSHが大学を頼ってくるのとは違うみたいで、なんというか高校生の教育は高校に任すのが筋なのではないだろうか?という疑問が湧くのだが。。。それはともかく、クモの網の作り方について調べたいという人がいるのだそうで、U丸さんが「それならアドバイスをしてくれる適任者を知っている」ということで私のところに話が来たわけ。確かにそのテーマなら日本ではそうならざるを得ないであろう。で、何年かに一度は私のところにそういう話が来るものであるから、こちらも慣れたものであって、ほいほい引き受けて、今日Zoomでお話をした。で、先方タブレットで繋いでいたらしく、ディスプレイ側のカメラじゃなくて背面側のカメラしかアクティブにできないということで、先方の画面が移らない状態で話をした。ので、向こうの反応がイマイチよくわからなくって、そういう時の私って伝わってるのか不安になるからひたすら喋りまくることになるのが通例で今日もそうだった。で、喋りすぎたと反省する。なんせこちらはこのテーマに関してはプロ中のプロであって、それが喋りまくった時には、周りを置いてきぼりにしてしまうこと必定である。あとからU丸さんには、それで良かったと思うと言ってもらえたわけだけど、いやあ、やっぱりもう少し高校生さんに話をしてもらう方が良かったと思うのよね。全部タブレットのせいだ。

ピストン

上の子が友人と二人で屋久島に遊びに行くと言う。まだ私も行ったことがないというのに。LCCで鹿児島に飛んでフェリーだそうで、朝が早いとのこと。6時16分JR駅発の電車に乗って関空へ向かうとのことだ。で、我が家ではぶーちんのコロナ感染を受け、慎重にふるまってまだ家庭内隔離を続けている。つまり5時台に上の子が起きて1階で活動を始めると、当然に目が覚めてしまうわけだ。やむない。で、外は大雨。上の子には旅の荷物だ。しかたないから車で送っていく。6時10分発。2分で駅につき上の子を降ろして帰るのだけど、家から駅までの経路には1か所一方通行の場所があって、帰りは回り道をする必要がある。で、阪急の駅前を通過した時に、上の子のお連れさんの友人がこの大雨の中傘を差して歩いているのを発見。目が合った!ので、急遽ロータリーに右折して入ると彼もこっちに来る6時13分。「っていうか16分の電車じゃないの?」「間に合わないから次のかなあ、と思って」「なに?!いや、今なら間に合うはずだ。早く乗って!!」と、JRの駅に取って返して6時14分。「余裕じゃん。気をつけていってきてやあ」と言って無事送りだしたのである。一日一善。ところが、後からヨメサンに入ったメッセによると、飛行機乗り損ねたらしい。なんでも南海電車が信号トラブルで遅れていて、時間に着かなかったそうな。えー?と思って調べてみたら、トラブル発生は5時台。なんていうことなくわかった時点でJRで行くようにしさえすれば間に合ったはずなのに。。。新今宮で気がつけたはずだ。。。こういうところで旅慣れてないことが露呈するのであるなあ。結局夕方の便に追加料金はらって載せてもらうことにしたのだそうな。8時から16時まで関空で時間を潰す。。。悪夢である。ところで今日はヨメサンの議会最終日で、見せ場があったそうだ。っていうか、もうウチの町ダメなのでは?

悪習

基本的に職場の飲み会には行かないことにしている。古巣では遅くまで国分寺で飲んでも歩いて家まで帰ることができたし、なにより面子にも恵まれて楽しかったけど、こちらではなんか話題がつまらないし帰りの電車も気にしなきゃいけないしで、最初はつきあいで参加したこともあったけど、ある時から、もう行かない、と決めて、以来心穏やかに過ごしているのだ。とはいえこの時期の送別会ともなると、さすがに人倫にもとるような気がしないでもなく、送られる人との関係によってはたまに参加したりしていた。そんな中の2020年からのコロナ禍は職場の飲み会が全部なくなって良かったのであるが、最近復活してしまって、もうやめればいいのにと思うのだけど、どうして人は惰性を続けることにこんなに血道をあげるのか。で、今日は今年度最後の会議が4つもあってその後送別会があって、ふけるべきかとも考えたのだけど、迷っているうちに出ませんといいだすタイミングを逸したので参加してみた。結果、私は筋の通った話か突飛な話かのどちらかを聞きたい、ということが自覚された。でないと楽しくない。で、楽しくないお酒は飲みたくないのね。

マシューの成熟

そういえばすっかり書くのを忘れていたけど、先週の月曜日の夜にシネコンに行っていたのだった。「ARGYLLE/アーガイル」。登場人物が勝手に動きだすってあるよね、という話。いやー、なんか面白いのかねこれ?とオッカナビックリで見に行ったのだけど、強烈に面白かった。マシュー・ヴォーンのマスターピースではないかこれ?なんといっても、眠たそうな目でダサい衣装によたよたの体、というどう見ても冴えないオッサンだけど実は優秀なスパイという設定の勝利。アラカンとしてはもう応援せざるを得ない。しかも女性側の主人公も下半身でっぷりであることを隠そうともしないわけ。でも、この二人が荒唐無稽な大暴れをするわけですよ。控えめに言ってもサイコーでしょ。で、また脚本がきっちりきっちり伏線をひいては回収するという丁寧なお仕事で、私はこういうの最大限評価するわけ。もちろんお話としてはデタラメで御都合主義なんだけど、でもそれがお話というもので、伏線を引きさえすればすべての御都合主義は御都合主義の地平を乗り越えていくものであるよ。素晴らしい。で、マシュー・ボーンでスパイ物というと、キングスメンなのだが、あの第1作で頭ポンポンするどぎつい色で構成されたシーンがあって、あれを見た時に、斬新な絵で感心するけどそういう表現をする必然性は薄いよな、単にやりたかっただけってなら品がないよな、と思ったものです。で、今作でも同じようなどぎついシーンがあって、でも今回はきちんとエモーションと対応していて、しかも、伏線の回収にもなっている。そこでのサム・ロックウェルの緩んだにやけ顔のアップを見て泣けてきましたよ私は。いやマジで泣ける。オッサンのその気持ちよ。つうことで、エモーションに裏打ちされたシーンこそ娯楽映画の背骨である!っていうか、オレ、マシュー・ヴォーンの監督作ほとんど見てるのね。お気に入りだったのか!