海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

倫理を問う

2つあるオンデマンド科目だが、一つの登録者数が700人近くになっていることがわかった。もう一つも400人を超えている。どちらも2回生以上が履修可能な科目で、全学の在籍者数が2回生以上だと4500人ほどなので、およそ全学の4人に1人が私の授業を取っているという計算になる。おそろしいことだ。去年もたくさん受講生がいたが、今年はさらに拍車がかかっている。どうやらオンデマンド科目が減っているっぽいので、残された科目に受講が集中しているのではないか?と思われる。集中の理由のもう一つの可能性である、楽勝科目と思われている仮説については微妙なところである。というのも、この科目たち、結構な割合で不可を出しているからだな。1割5分から2割程度が単位を取れていない。ただし、真面目に受ければ確実に単位取得になるように設計しているので、それを好む学生が多いということは言えるのかもしれない。あと、やろうと思えばハックはできるので、そういうところに楽勝科目性を見いだしている学生がいることは否定できない。で、真面目な教員であれば、ハック可能なのは許せない、となるところだろうが、不真面目な私としては、やりたければどうぞ、である。そんなことしても自分のためにはならないですよ、ということは訴えた上で、それでもやりたいのなら無理には止めません。そんなことに血道を上げるのは誰のためにもならないからね、というのが私の考え方。いや実際いるみたいなんだけどね、オンデマンド動画をろくすっぽ見ないで成績評価にかかわる小テストだけ受ける人が。まあ、やられる方としては面白くはないけど、だからといって、それを防ごうとするのは自分も闇に飲み込まれるだけだから。それはともかく、成績評価もほぼ自動化されているので、受講生が何人になっても私的には特段問題ないのだけど、あんまり酷いことになると上の方から目をつけられるんじゃないかとそれは心配ではある。誰も気がつきませんように。

1/18

ついに今日から2024年度の授業が始まってしまった。。。気が重い。しかも今年の火曜日は少人数科目3つにオンデマンド科目が2つと来たもんだ。半期で6科目がノルマだからそのほとんどを今日こなすというわけだ(実際はオンデマンド科目に時間を取られるのは月曜なのだが)。幸いなのは、少人数科目の受講者が3つとも、反応の良い人が多いことで、こちらの働きかけに応えてくれる人がいれば、まあなんとかやっていけるかもしれないねえ、という。あと、3科目のウチ1科目が時間割変更の可能性が出てきて、そうなると火曜日集中の度合いが少し和らぐのであるなあ。そうなると楽ではあるのだけど、一気に終わらせられれば自由度が上がるというメリットもあるので、よしあしではある。ともあれ、半期90回授業しなきゃいけないもののうち、やっと今日で5回分をこなしたということになるわけ。

スポックの不在

ネトフリで「寄生獣 −ザ・グレイ−」を見る。寄生獣というと、原作マンガは傑作中の傑作。一方、映画化された作品は、予告編を見るだに雑に作られてるっぽく、原作の激ファンであるところの私としてもちょっと見に行く気がしなかったもので、っていうか、なぜこの傑作マンガを汚すようなことをするのであろう、と思っていたわけだ。なので、今度は韓国を舞台に連続ドラマとして映像化されたと聞いても、最初は食指が動かなかったのだな。けど、たまたまネットに流れてきた一部シーンの映像を見て、あれ?これは意外と丁寧な絵づくりではないか、と気がつき、韓国で作られてるのなら日本の映像化みたいな悲惨なことにはならないかも?と思って、見始めたのだな。そしたら面白かった。原作の設定を借りてはいるものの、舞台は韓国で登場人物も一から造形されていて、新しい話として作られたのが、まず第一の成功の要因だと思われる。こうすることによって、原作を知っているものが映像化作品にどうしても感じる違和感を回避することができるわけだな。一方で、原作の設定からはまったく逸脱せずに話を転がしているわけで、見る側としては「わかってるじゃん」という満足感も得られる。設定は同じなのだけど、主人公の属性が微妙に原作とずらしてあるところがまた上手なところである。泉新一とミギーのような同時に両者の意識がある設定ではなく、主人公とパラサイトの意識が同時に存在できない、というように設定を違えているわけだが、こうすることによって原作にあった人間とパラサイトの対話ができないようになっているのだな。原作ではこの対話があることによって、ミギーの主人公性が強くなっていて、っていうか、泉新一はミギーというかパラサイトの側にいったんは行ってしまいかけるとこまで描かれているのだが、今作ではそういうことが起こりえないようになっている。で、人間側に主人公に密接に関係してそれを助けるキャラクターを配置することで、本作は人間視点から語られる物語になっているのだな。これは感覚的に受容される映像作品(しかも連続ドラマ)の作りとしては適切としか言いようがない。原作のような人間ならざるものからの視点によった話は哲学的で、まあ映像を見る人に広く受け入れられるかというと難しそうに思われる。つまり、本作は映像化作品であるにふさわしい主人公の属性の設定が行われている、ということで、まあなんというか感心するわけだ。ただし、このことによって、原作にあった、人ならざるものから見た人間性賛歌、というテーマを描くことが構造上できなくなったという面はある。まあとはいえ、良くできた作品だと思う。楽しめた。

もったいないオバケ

北の大地で大学生活を始めたぶーちんから家族のメッセージグループに写真付きのメッセが送られてきた。キタキツネだ。さすがは北の大地。キャンパス内にキタキツネが出没するのであるなあ。おおお、と盛り上がる残され組である。中でも最も冷静居士を自任する私としてはエキノコックスに気をつけたまえ、とコメントするわけだが、ぶーちん曰く「T澤さんが構内のエキノコックスは駆除されたといってた」とのこと。ウッソーと思って調べてみると、確かに10年ほど前に構内全域に駆虫剤入りのベイトをまいていて、一発では完全に駆除できなかったけど続けているうちに卵を持った糞が見つからなくなった、と書いてあるじゃないか。で、今もまいているかどうかは知らないけど、T澤さんの言うこともあながちウソじゃないっぽいことがわかった。面白いなあ。っていうか、家族4人の中で一番生き物に興味のないぶーちんが生き物にあふれるキャンパスで暮しているというのは世の中うまく回るとは必ずしもいえないということであるなあ。

数字は裏切らない

ヨメサンは3ヶ月に一度の議会が終わると、その時の内容を有権者に説明する報告会を開いている。まあそんなたいそうなものではなく、参加者は多くて10人くらいでほとんどは知りあい、というこじんまりした会だ。で、朝からパソコンとプロジェクターを抱えて会場に出かけていったのだが、しばらくすると電話が。HDMIのアダプターを忘れたから持ってきて、という。まあこの手のサザエさん並のイベントにはことかかない我が家であって、私もこれくらいでは驚かない。粛々と車で会場に向かう。到着して入り口に歩くと、知ってる人が待っていて「駐車場が埋っていて停められないと困るから受け取りに来たの」という。すみませんすみませんヨメサンたら私以外にも御迷惑を。しかし駐車場が埋っていて私が当惑する可能性に気がついたのはヨメサンらしからぬ心配りである。で、その方と一緒に会場までアダプターをお届けする中「いやあすみませんねえうちの人ったら粗忽で。ってかもう何回目だろうこういうことするの」っておちゃらけてみたら「数えるもんじゃないの」とぴしゃりと言われてしまって、大変恥ずかしかった、というそういう話。話題は相手を選ばないと。

今日の一日一善

なんとかオンデマンド授業の準備と原稿の改訂を終わらせた。で、新入生オリエンテーションがあって、私は今年は久しぶりに一年生の導入ゼミをやらされることになっているので顔合わせがある。気が重いのだな。この科目ってのは通常、大学で学んでいくためのスキルを身に付けることを目的としているわけだが、私がいるところは文系メインであって、そもそも私自身に文系大学で学ぶためのスキルがないわけですよ。例えば有効数字の何たるかを教えて彼女らの役に立つとも思えない。段落最初の一字下げだって、インデント機能で行うべきであって、空白文字入れると逆に面倒くさくなる、という私の理解を伝えたら混乱は必至だ。ということで、ここしばらくはうまいことこの科目の担当を逃げていたのだけど、多数派の人ってのは自分の知ってる世界がすべてだと思いがちであるから、私が文系学部で学ぶためのスキルを備えていないことがどうにも理解できないようで、今年は科目を振られてしまったのである。気が重い。さてAppストアでソフトを買おうとする。このときApple Accountに残額があると、ここから優先的に支払いが行われる。で、Appストアでしか買えないソフトに研究費を使おうとすると少し厄介になる。領収書の宛名が大学でなく私の住所も表示されてしまって、頭の固い事務方がそれではダメだというのである。とはいえ事務方にも知恵者がいて、去年FinalCutProを買った時に、その値段とピッタリ一致するようにAppleのバリアブルカードを購入して、その領収書を大学宛にする、という方法を考えだしてくれたのである。もう素敵。事務の鑑。ところがその事務さんが去年の末に退職してしまった。ということで、また何が起こるか分からないので、新しくソフトを買おうと思った私としては、念のため「これこれこういう風に買おうと思っていて、去年も実績があるから買っていいと思うんだけど、かまいませんか?」とお伺いを立てる。ホント無駄な作業だと思うのだが、こうしておかないと足をすくわれかねないという現実には対処せざるをえない。そしたらなんと、買えない、と来た。ほらやっぱり何が起こるかわからない。で、どうせまた、新しい人がこちらのやりたいことをちゃんと理解できず、理解できないうちにとりあえずダメ、といっているに違いないので、去年もそれで買えているので記録を調べて欲しい、とお願いすると、確かに去年の記録はあるけれども、それは間違いだったのでダメ、とか言いだす。何これはどういうことだ?と思って、まずは絡め手から攻めてみようと思い、必要なものを買おうとしてるんだから、ダメっていうだけじゃなくて買える方法を教えてくださいよ、と言ったら、アカウントを別に作ってそこからクレジットカード払いをしたら?と言われるのだが、同じMacで複数のアカウントを切り替えて使うことの面倒くささを考えるとそんなのかなわんのである。そういうと、でもAppleのカードのような有価証券は買えないルールになっている、という。ルールであることを理由にして不便を強いてくるのは退廃であるから、これには強く反発せねばならないので、「そんなルールは変えればいいじゃないですか。あなたは私に、不便を受け入れてアカウント切り替えをすればいいじゃないかというけれども、私がそうしたらこのルールがずっと続いてしまう。今回、私はそんな不便に耐えるくらいなら研究費購入を諦めて自腹で買うけど、あなたは事務方としてこのルールを変える努力をして欲しい。それが仕事では?」というと、なんだか向こうもエキサイトしてきて、でもルールはルールなので、とか言うので、いやそんなこと言うてるんじゃない、とこっちもエキサイト。そもそもなんでそんなルールになっているのか?と問うと、有価証券を買うと年度間で繰り越しができてしまうから監査で問題になるからだ、という。いや、そんなんね、見て、この去年の書類を。45000円コンビニでカードを買ってね、その日のうちにAppleストアで私のアカウントから支払いが起こってるでしょ?これを見たら繰り越しになってないって十分説明できるでしょ?説明できない支出がダメなのは分かるけど、説明できるなら監査も問題にならないでしょ?というと、このケースではそうかもしれないけど、そうでない場合もあるから有価証券は買えないルールなんだ、とまた声のトーンが上がってくる。で、でもこう買えば繰り越しにならないじゃないですか、と言うこちらの主張とルールはルールだからと言う向こうの主張で水掛け論が続く。と、ふっと向こうが「でもこの時は確かに45000円の商品に対してぴったりの額のカードを買えているけど、そうじゃなければ、例えば5万円のカードを買ったら残りの5000円は繰り越しになるでしょ?」と言いだす。いやだから、そんなことはありえないんだ、って言うと、なぜだ?という。だって、45000円の商品だってわかってから、カードを買いに行くんだもの。と言うと、急に向こうの態度が軟らかくなる。どういうことですか?と。ここで判明したのは、向こうがバリアブルカードの何たるかを分かっていなかったことである。なので、例えば35412円の買い物をするのに4万円のカードを買わなきゃいけないと思い込んでいて、なので繰り越しが発生しかねない、と主張していたらしいのである。「ひょっとして35412円のカードを買うこともできるのですか?」「できますよバリアブルカードなんだから」「ならコンビニ払いに似ていますね。繰り越しにならないのか」「いや、だから最初っからそういってるじゃん」。ということで、まだ結論は出てないけど、それなら買えそうだということでいったん持ち帰ってもらうことになった。ということで、私のレッスンとしては、理不尽なことを言われたときに戦うのが面倒だからといって簡単に引き下がってはいけない、ということである。そして、事務方に願うべくは、とりあえずダメという姿勢でことに当たらないというレッスンを得て欲しいことである。ってか、何度目だよこういうのでバトルのはよ。

残され組

ぶーちんの入学式。ヨメサンが参加している。考えてみれば、私自身の大学の入学式はボンヤリしているうちに遅刻しちゃって出れず、子どものは二人とも出なかったわけだ。なので、大学生の入学式というのがどんなものかは知らない。いや、正確にいうと、教員として出たことは何度かあるけど、ああいうのは大嫌いなので出席をしいられた時は心を無にして対応するので、ちゃんとした出席者としてどんな気持ちを抱くものなのかを知らないのである。どうでもいいことですね。ということで、この三日間の晩ご飯はイノシシ肉の野菜炒め、豚バラ肉と菜の花の炒め物、蒸し鶏、というラインナップだったのだけど、これまでのヨメサンいない飯が3人分作っていたところを今回は上の子と自分の2人分になったわけだ。こうなると、なんかご飯作るのラクチンだわ。そのうち上の子もいなくなっ、二人飯が常態化するわけで、まあそれはそれで身軽になることであるなあ。洗濯とかも楽だしねえ。つうことで、夜ヨメサンを迎えに行く。北海道のおみやげといえば北菓楼のシュークリームであって、これからは頻繁に食べられることになるのであろう。