海の底には何がある

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科学と懐疑

千里眼事件―科学とオカルトの明治日本 (平凡社新書)

千里眼事件―科学とオカルトの明治日本 (平凡社新書)

以前、福来友吉の伝記を読んでから、どうもこの話が頭の片隅に残っていて、新刊の欄にこの本を見つけて即購入。新書と言う事であっという間に読んだ。内容としては、伝記に書かれていた事と重なる部分も多く(長尾郁子のスキャンダルだけは今回知った)、人の感覚は騙されやすいだの、信じると知るは違うだの、客観性が重要だのとという主張も特に目新しいとも思えないわけで、読後感としては妙に軽いものであった。あと、現在に立って過去の間違いを断罪するような論の進め方は少々不当ではないかと感じた。

どうでもいいことだが、この本は疑いを知らぬ者がまんまと騙されたという構図で書かれている。で、それは科学的ではないと。しかし、科学を生業とするものが懐疑に長けているかと言うと全く違うのではなかろうか。事実はそれと真逆であって、むしろ物事を深く疑う者は科学には向かないと思うのだ。というのも、科学はほとんどの場合、過去の蓄積の上に進んで行くものであって、これを信じる事は科学の営為の中に抜き難く組み込まれているように私には思えるからである。これから生物学に進もうとするものの一体何割がメンデルの法則を疑って自ら追試しようとするであろうか。

他にもある。発表の中に現われる論理的な間違いがあるかどうかを疑う事は可能だが、そもそもデータの中にウソがあるかどうかを疑う事はほとんど不可能である。もし、それを始めるなら、一歩進むのに今の何十倍もの手間と時間がかかるだろう。ということで、むしろ私たちは積極的に他者の研究成果を信じるのだ。こんな風に基本的に悪意の介在が無いことを前提としたシステムの中で生きている科学者こそ、ペテンにかかりやすいのは当然なのではなかろうか。