海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

不本意受講

不本意受講という問題があるらしい。例えば二時間目と四時間目に必修科目が入っていたら、三時間目を埋めるために別に聞きたくもない科目を受講せざるを得なくなって、学生の大学に対する不満が募ると言う。そんなんなら最初から受講しなくちゃ良さそうなものだが、それはともかくとして、こういう不満を聞くと、学生思いの優しくて誠実な先生なら、不本意受講をしなくてすむような制度にするべきだと考えてしまうのである。

しかしながら、ちゃらんぽらんな私は思う。もし不本意受講を根絶できる夢のようなシステムがあったとして(現実には無理だけど)、そんなものを本当に採用すべきなのだろうか。

不本意受講が起きうると言う事は、逆に受けたくも無いのに受けた科目が思いの外面白かったというケースも起きうると言う事。で、本当の意味での学びとは、自分の予想しなかった事や新しい経験を不断に取り込み続けて、自分の枠を少しずつ拡げ溶かしていくことだ。だから、取りたくない科目を取ってしまう事はそれほど悪い事じゃない。その時の問題は、一見の学生さんの興味を引く事のできない授業の内容にあるのであって、制度の問題じゃない。むしろ、ゆらぎにつながる要素は積極的にシステムの中に組み込んでおかなくちゃならないのじゃなかろうか。学生が、自分が必要と思い込んだものの内にひたすら閉じこもることを許容するのなら、大学の存在意義なんて無いような気がする。

てなことを、昨日、人の話を聞きながら考えていたのだけど、その場では発言の機会を逸してしまったので、ここに忘れないように書いておく。いや、もちろんこれは程度の問題だから、不本意受講しかできないようになっていると言うなら、そりゃ対策はとるべきだけどね。