海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

幸薄い論文の春

一昨年の12月に投稿を開始した原稿が二度のリジェクトを経て、三度目の正直でやっとアクセプトと相成る。リジェクトクラブ会長として無責任であるとの誹りは受け付けません。だって嬉しいんだもの。しかし、データを取りはじめたのが2003年だから足掛け5年。長かった。

今回のはなかなか不幸な経過をたどった原稿なのだな。この研究では、クモの網に餌をかけてやって捕獲に来たクモが餌に到達する直前に網から取り除くという操作をして、餌捕獲の失敗がその後の造網行動に与える影響をみたのであるけれど、最初に投稿した時のレフェリーに「餌が網から逃げるという状況は実世界ではあまりないから、この研究の価値は低い」なんて事を言われてしまったのだな。でも、実際にこのクモの網にかかった餌の半分ほどは食べられる事なく逃げているわけで、つまりはどうもクモの事を良く知らないレフェリーに当たったのが蹴られた要因の一つになったらしい(まあ他にもイチャモンはあったので、おとなしく引き下がったが)。これが不幸の第一。二番目の不幸は、前にも書いたけれど、次に投稿したところの最初の決定がmajor revisionだったので、それに対応して修正したら、修正稿が別のレフェリーに行ってしまい、その人が新たに要求を出してきて、編集長もその要求を認めてしまった事。私のセンスでは、修正稿の段階で前になかった批判を出すのは、それがよっぽど致命的な欠陥でない限りは控えるべきだと思うのね。でないと人によって問題にする箇所は違ってくるわけで、いつまでたっても改訂が終わらなくなっちゃう。まあでも編集長が認めたんだから仕方がないので、レフェリーの指示に応じて(完全に指示通りではなかったけれど、その時点で可能だった最大限の努力で)追加実験までしたのに蹴られてしまったのであるな。

で、ちょっとそれってご無体じゃないですか編集長さん、と思っていたら、先方も不憫に思ってくれたのか「今回は雑誌の嗜好と合わないと言う面もあってこういう結果になったけど、評価したレフェリーもいたわけだし、私が編集をやっている別の雑誌があるのでそちらに投稿してみたら」と言われたのである。で、こういう経緯だったし、大丈夫かどうか不安が一抹も二抹もあったのだけど、折角のお言葉だしと言われた通りにその雑誌に出してみたら、さすがに今度は通してくれたというわけ。

それにしても、自分が第一著者の論文がアクセプトになるのは三年ぶりという体たらくで、東京に来てからの生産性の低落は目を覆うばかり。今回のアクセプトを機に潮目を反転させたいところ。