海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

これも一種のコピペレポート

今年は何度か学生に文章の要約をさせたのだけれど、そうすると要約対象から適当に文章を切りだして来て作り上げるケースにちょくちょく遭遇した(昔懐かしMacOS9の要約機能のようだ)。ということで、今度からはあらかじめ「文章の中身を理解して自分の言葉で言い換えなさい」と注意を促す事を忘れないのが私の課題。

それはともかく、なぜそういう要約をしようとする発想が出てくるかについての、最近お気に入りの私の仮説が、「正解を元のテキストの中から探す」という習慣のせい、というものだ。大学入試までの国語のテスト(特にセンター試験などのマークシート型)で問われる事は、大概そのやり方で答えられるのだから、それこそが正しい日本語運用の仕方と思う人がいても不思議ではない。

そうやって考えると、入試科目に国語があることにはデメリットがあるのかもしれない。誰かの日本語の運用能力を知りたければ、ある程度の長さの文章を読んで理解できるか?と言う事と、人が読んでわかる文章を書けるか?というところを見なくちゃいけない。こういう課題の遂行には時間がかかり、かつはっきりした正解がないから、その評価としては、せいぜい数段階の区別をするしかできないだろう。しかし、これだと入試の選抜にはとても使いにくい。一方、「テキストの中から正解をいかに早く見つけるか?」という形式の試験にすれば、問題数を増やせるから100ないしは200点刻みで点数をつけることができる。入試で使うならそういう形式にならざるを得ないのは理解できる。しかし、そこには副作用があって、、と、そういう理路だ。

いや、決して子供の頃の苦手科目が国語だったから、こういう事を言っているわけではない。。。と思いたい。