海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

耳のついた怪人

客観性の基礎にあるのは、「自分が見ているものは必ずしも人の見ているものと同じではない」と言う事だと思う。であれば「教える」と言う行為は客観性の涵養に役立つはずだ。なんなれば「教える」ことの前提には知識の非対称性がないといけないからだ。すなわち「自分の持っている知識を相手は持っていない」という前提だ。

理屈はそれほど間違っていないような気がする。でも、実際にこれを使ってみようとしてもなかなか上手く行かない。オレサマ主義の壁は分厚くて、非力な私ごときではどうにもならんのではないかと、時々悲しくなる。

上の子は学校でひらがなの練習。「み」のつく言葉を考えて絵を描くのが今日の宿題だ。そんなわけで、ウチに帰ると上の子が「みみずく」の絵を見せてくれたのだけれど、まるでナイトオウルだった。まあ、あながち間違いと言うわけでもない。