海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

我が家的幼年期の終わり

6時20分の防災放送で起こされる。曰く、3グループが6時40分に停電するとの事。よしこれでウチのグループが2か3か判別するわいと思って、あ、大学行かなきゃ、と気がつく。一昨日から今日の昼までかかる計算を仕込んでいて、昨日の様子だと今日大学のあるエリアが停電する可能性は低いと踏んで、そのままにして帰ってきていたのだな。勝負に負けたとならば仕方ない。二日分の時間がもったいないけど、潔く飛び起きてマシンを止めて来たわけだ。で、今日は卒園式だからすぐに家に帰ってきて停電に備えていると、再び防災放送。なんと停電は中止だという。いや、そりゃ一般論として停電にならないのはありがたい事なのだけど、ちょっと呆然。

と言う事で卒園式。5年間兄弟で通った幼稚園とも今日でお別れ。7年の東京生活のうち5年だからねえ。我が家の東京を象徴する場所なわけ。で、校門で大学の守衛さんに挨拶すると「あれ、幼稚園は卒園式あるんですか」と。付属校は軒並みお休みで、大学本体も卒業式は中止になるそうだ。後から副園長先生に聞いたところによると、お上から、時世を鑑みて集会は学級レベルのものに留め多数の人が集まる機会を避けよとのお達しが来たそうで、そういう意味ではよく卒園式を開けたものだという。今回は下の学年のお見送りがなかったけれど、そうすることで学級レベルのものと扱う事で式を可能にしたのではないかと推測してみた。式の間、副園長先生がいつになく緊張されていて、終わった時に「無事に終わってホッとしました」と強い安堵の表情をなさっていたのを見て、ひょっとしたら卒園式を開くために多少強引な事をされたのかもしれないと思ったりした。

式では、卒園証書の一人一人への授与と園児みんなで幼稚園生活を振り返る歌と踊りがあって、ぶーちんも含めて一生懸命やっている。ああ随分しっかり成長したなあと思うと、がらにもなく目が潤んできたりした。子供たちはこの日のためにたくさん練習したんだろうから、その事を披露するのは彼らの自信というか自尊意識の形成にとても重要なのだろう。そうやって考えると、卒園式はただのセレモニーじゃなくって、幼稚園教育の欠くべからざる1つの要素なのだと思う。だからこそ、これは頑張って開かなきゃいけないものだったのだなあと。

上の子の卒園の時は、また4月からぶーちんがあるもんねと余裕だったけど、今回はいよいよ最後だし、関西に移ったらもう近くを通りかかる事もなかろうしなので、気合いを入れてお別れをする。お友達になったお父さんお母さん、担任の先生、それから副園長先生、お世話になりました。おかげで親子共々かけがえのないとても幸せな時間を過ごさせていただきました。ありがとうございます。

自分の卒業の時はついぞ悲しいなんて思った事がないのに。

夕方も停電の可能性があったけれど、やはり中止。いつになったら所属グループが判るのだろうか。