海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

ちいさなかぶ

経済の事はとんとわからない私であるけれども、わずかに株券を持っていたりする。それは、私が生まれた時に曽祖母がお祝いに私名義で株を買ってくれて、それを何も考えぬままに持ち続けているからだな。で、その株がよりによって関電なのである。曽祖母的には、エネルギーインフラ企業なら潰れる事もなかろうから、曾孫が成長するまでに紙切れになっている事もないだろうという目論見だったらしい。まさか、電力会社を巡る情勢が、こんなになるとは全く予想していなかったでしょう?>ひいおばあちゃん。

わずかとはいえ株主だから、毎年6月になると株主総会の議案が律義に送られてくるのだ。もちろんこれまでは、議案を見てもチンプンカンプンで、議決権の行使なんていったいどこの世界の言葉なの?ってな感じだったわけ。だけど今年はそんな無責任であってはいけない年だ。私の議決権など、最高裁判所裁判官国民審査の一票の価値にも及ばないほどの些細なものであるけれども、エネルギー供給のあり方について直接物を言う機会を逃すわけにはいかない。と言う事で、朝起きて、株主提案の議案の一部に粛々と賛成票を投じる。ネットから議決権を行使できるのですよ。いや、当然この議案は否決されるだろうけれども、経営側の予想よりも賛成票が多いと言う事態がもし起れば、多少の圧力になるかもしれないとのわずかな期待を込めて。

大事な事を忘れずこなして(投票の締め切りは今日の17時半)、安心して仕事へ。エアコンのスイッチを入れなくても済むよう、今日からサンダル履き。やっぱりだいぶんと違うね。まだ短パン化という最後の撤退ラインを残しているけど、女子大に短パンで出かけるのはさすがの私でも若干の躊躇いがあって、まだ踏み切れていない。

「127時間」が良いとの評判を聞くが、最寄りのシネコンではかかっていない。仕方がないので仕事を終えてから二条駅前のTOHOシネマズに。人は死ぬ前に走馬灯のように人生を振り返る、と言う話。もしくは、能力と心の繋がりにはトレードオフがある、という話。もうすっかり世間的には忘れられているけれども、私的にダニー・ボイルは「普通じゃない」。で、今作のテーマは「普通じゃない」で描かれていたものと基本的に同じと思う(もちろん表現は随分違っていて、今作はとっても洗練されて緻密であった)。と言う事で、不覚にも感動した。でも同時に痛かったりもした。

最近は、洋画でも大作以外の公開数が盛り返してきている感じで、喜ばしい限り。