海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

オレも男だ

「男の読書術」を読んだ。大岡センセ(例によって気恥ずかしいので今回もカタカナ敬称)が毎日新聞に長い間連載されていた書評から選りすぐりの60本をまとめたもの。私は親戚に毎日新聞の関係者がいたもので、子供の頃からずっと毎日の読者であって、書評欄は学生の頃からずっと読んでいて大岡センセの文も意識にはずっとあったのだな(それをこうして1冊の本として読む事になるんだよって、学生の頃の私に言ったってきっと信じられなかったでしょうな)。とはいえ読むだけで、評されている本に進む事は滅多に無くって、実はこの本で取り上げられているものは一冊も読んでいないだけれど、本書によると丸谷才一は書評について、それを読めば問題の新著を読まなくてもいちおう何とか社会に伍してゆけるのでなくちやならない」と書いているらしいじゃないか。それなら、別に私も恥ずかしがる事はないわね。それに、本の内容を知る事は書評を読む唯一の目的ではなく、評者の視点をこそ楽しむという読み方だってあるはずだ、と自己弁護を重ねて、渋い壮丁が施された本書の頁を開く。すると、いつものように大岡センセの分析的読解が繰り広げられ、うんうんそうだそうだと首肯き過ぎて首イワすんじゃないか言うくらいに面白い。「宗教は(中略)、役割を終えて古典になったのではないだろうか」とか「男の誠実とは、もちろん騎士道にあこがれる少年の心のことだが」とか座右の銘にしたい(特に後者)。新聞掲載の書評なので、一つ一つが短く、テンポよく読めるのも楽しい。

どうでもいいけど、首肯くたびにその場所に線を引いて回りたくなるけれども、私はどうにも書物に書き込むと言う事に心理的抵抗があって(これって潔癖症なんでしょうか?)できないのだな。今回など実は二冊持ってたりするので、一冊に書き込んでも、奇麗なものを一部残せると理性は告げるのだけど、それでもダメ。と言うわけで、覚えておきたいところは何度も読み返して本のどの辺にどんな文脈で書かれていたかを頭にたたき込んで、改めて探す時に便利なようにしておく。

ところで、フト思い立ってみて、この本で取り上げられてる書物は今どのくらい入手できるんだろうとアマゾンで最初の三章22冊分を検索してみたら、新品で入手できるのは10冊しかなかった。ロングテールなんてウソじゃんかようと一瞬思ったけれども、中古で良ければどの本もクリック一つで手に入るようだ。ありがたい時代である。

男の読書術

男の読書術