海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

還元主義者

昨日から今日にかけて雨との予報が外れたので、畑に水をやらないといけないわけで、まだ5月と言うのにこの凶悪な日差しを暑さを避けるには早朝である、と、7時から畑に。ついでに散歩とかして一時間ちょっと時間を使ってもまだ8時過ぎ。だいぶん得した気がする。そしたら今日は雲の多い一日で気温も上がらず快適だった。まあこんなもんだ。折角なので薪割り。

壊れた精密天秤をメーカーの修理センターに送るべく宅急便センターへ。梱包材はもちろん箱もなかったので、物だけ持ち込んだのだけど、さすが餅は餅屋であって、いろいろ有益なアドバイスをもらって無事発送完了。早く治って欲しいもの。ついでに車の点検にディーラーへ。もうこの車も8年半乗っているけど、トランク容量の大きさとか乗り心地の点でまだまだ乗りたいわけで、メンテナンスは丁寧に。

個人が公を作るのか、公が個人をつくるのか、というと私は明確に前者の立場に立つものだ。いやむしろ、個人の立場を突き詰めて行った結果としてできるのでなければ、公なんて害悪でしかないと思うくらいだ。で、公が個人を作るって言葉の意味が今一つ良くわからない。確かに公は個の振舞いを拘束するものだけど、一方で公は個の相互作用からエマージするものじゃないのかしら。全体が先にあるって考え方は、私にはどうにも理解できないのよね。それは個人の立ち位置は相対的にしか決まらないって意味なんでしょうかね?もしそうだとしたら、それは個人が公を作るって言う言葉が言わんとする事とは全然ずれてるわけ。じゃあこれは、むき出しの個人で世間に放り出されたら生きて行けないって意味なのかしら?でも、だとしたらそれはむしろ個人が公を作るって意味と同じじゃないか、とここまで考えていつも行き止まってしまうのよ。

そんなわけで昨今の日本の社会は何だかイヤなのね。