海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

新町長の現実感覚

ウチの町で新しく選ばれた町長について、「共産党町長」だと攻撃する向きがあるらしい。確かに、応援はしてもらっていて、陣営は別にそのことを隠しもしてないわけだが、彼が出馬を決めた時の支援者は、私を含めて既存組織と繋がりのない普通の人々の集団だった。そんな新町長に「共産党」の語を冠するのは、事実認識に誤りがあると言える。

とはいえ、そういうデマを述べる向きの意図というのはわかる。要は、与党系の町長にならなかったのが気に入らないのであろう。で、そういう人にとってはこの語がシンボリックな悪口として認識されているというわけだ。そして、このデマを聞いた人に、新町長にネガティブイメージを受け付けさせようと言うことなのだろう。

しかし、よく考えて欲しい。この語にあるネガティブイメージには、頭堅くてイデオロギーゴリゴリで現実的でない、みたいなところがあろう。しかし、今回の町長選、二ヶ月前にまったく準備もせず出馬した新町長がいろんなところに助けを求めずに、どうやって勝つことができただろうか。

つまり、今回の応援が実現したことは、頭堅いどころか新町長の優れた現実感覚の現れなのである。そこにはネガティブキャンペーンをはられるリスクがあったけれども(実際にやられていた。加えて「わけのわからない市民派」と攻撃してくる人もいた)、それを上回るメリットがあるという判断があった。それが現実的で正しいものだったことは結果が証明している。今回の選挙では負けたら大変だと新町長はじめとする皆は考えていた。そんな状況で、応援してくれる人たちを、考えかたで違うところがあるからと言って排除する方がよっぽど問題であろう。

というわけで、デマを持ち出す向きには、「それは端的に間違っている」と言うことはもちろんだが、「今回の選挙で共産党に応援してもらって何が悪い」と堂々といえば良いとも思うのだ。