海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

今昔物語ありがたい

今昔物語集」を読んだ。8月にいただいて、その分厚さに「これはゆっくり読もう」と思っていたところ、本当にゆっくりと読んで、やっと今日読み終わったという。説明する必要もない古典中の古典、のはずだけれど、不勉強なわたくしであって、実は「今は昔」で始まること以外にはほとんど何も知らなかったのであるよ。O岡センセからいただかなければきっと一生読むこともなかったことでしょう。で、本書末にある長大な解説によると、今昔物語集は、インド、中国、日本の3つに分かれていて、それぞれで仏教の起こりや広がり、ありがたい力や因果応報などが説話形式で語られ、その後に世の中の出来事に関する説話が並べられるものだとのこと。本書はその膨大な説話の中から1割ほどをより抜いてきて、男女のことや武士、僧侶のこと、悪行や仏の力、と言ったようなテーマごとに集めて提示したもの。文章は現代文に翻訳されているので、古典かあ、という怖気は必要なく読みやすい。で、読みやすいと言えば内容もそうで、世俗的な話は昔の人のストレートな生きるありようがそのまま描かれていて、もう読んでいて面白くって仕方がない。一本一本のほとんどをクスクス笑いながら読むことができたのである。特に、最初の男女の話のところはもうたまらない。もうこういう生々しさを扱うO岡センセの楽しそうな顔が目に浮かぶようだ。で、時々そんな生々しさの中に妙にロマンチックな話が差し込まれていたりもして、これも、らしいチョイスだなあと思って読むわけです。さて私といえば、仏教とはとんと縁のない生活をずっと続けていた科学の徒であるわけだが、今の仏教系の大学に勤めるようになってしまい、まあなんつうか、うーむと思っていたわけだけれども、こうして仏教説話、特に因果応報の話をいくつもいくつも読むうちに、ははーんなるほど、と思えるところが出てきたのです。いや私もこの歳になっていろんな問題とぶつかって解決を試みるのだけど、その問題の根っこっていうのが、今から何十年も前にも遡るっていうことがしばしばあって、そうなると自分には全く与り知らぬことで奮闘努力させられる羽目になって、かつ結果がうまくいかない、なんてことにもなるわけですよ。で、こういう時に失敗の原因を自分に帰してしまうと心を病むわけで、そこでそうかこうなったのも前世の行いが悪かったからだ、ということにすれば楽じゃん、ということに気がついたわけね。実際、失敗の原因が何十年も前にあったりすると、それってもうほとんど前世じゃん、みたいなね。で、前世の行いが今の成功失敗に効いてくるのであれば、なんかやる気なくなっちゃうところだけれど、でもそれ言っちゃおしまいなので、それでも解決のための努力をやめないことってのは、要は現世で功徳を積んで因果を断ち切るのである、というように位置づけられるではないか、というわけよ。つうことで、結果が伴わなくてもめげずに努め続けるための理論武装の書として今昔物語が使えるのであるよ、というのが今回の私の気づきでした。