海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

儀式的読書

この10年元旦は内田樹の本を読む事が多かったのだけど、だんだん飽きてきたところがあって、時々他の人の本を読んだりしてたんだけど、今回は去年の秋にミシマ社から新作がでたのでそれをとっておいて今日読むという。ということで「日本習合論」を読んだ。なんかもう習慣になっているというか儀式になっているというか。であるからして、中身的にいつもの内容が書かれていても、むしろそれがいいというか。あー、ただ、神仏分離の話がそれほど大事なのか?っていうのはよくわからなかった。まあ、この本的に言うと、良くわからなくても何の問題もないわけだが。

日本習合論

日本習合論

 

 

ステイホーム

今年はどちらの実家に行くのも差し控える年末年始であって、ウチにいるのであれば大掃除である、と、今日は昼から昨日の続きで窓の掃除して、今日はサッシも念入りに吹き上げ、建て付けが悪くなっていた庭の仕切り戸を修繕し、換気扇の掃除をしてから本棚の整理。何年か前に増設した部分が既に埋りつつあるので、これはヤバいので棚卸しだ。もう読まない絵本とか箱に詰めて押し入れ行き、とか要らない雑誌捨てるとか、新書を2列積みする、とかして、だいぶんとスペースを空ける事に成功。これであと3-4年は持つであろう。そこをしのげば、また次の手も見えてこようというものだ。それにしても、今年は自分の業績的にはまったくふるわなかった年で、学部長やらされた上にコロナ禍で研究どころじゃなかった事もあり、論文を一本も出版できなかっただけでなく、著書もゼロ。一応自分の名誉のためにいうと、論文は書いてなかったわけじゃなくて、ちゃんと夏には投稿してminor revisionまで12月半ばには持っていってて、年内にアクセプトされるわウフウフと思ってたのに、まさかのここで停滞。クリスマス休暇かよ!みたいな。まあ、ここでアクセプトでも出版は来年なんだけどな。ともかく論文ゼロはゼロだ。しゃーない。活字のアウトプットはちゃぶ台に書いたエッセイ1つと新聞連載だったなあ。まあ、新聞連載はそこそこのお仕事かもしれないけど、研究者としての業績じゃないしなあ。まあ、世界の違う人たちとたくさん知り合えたし、これまでやった事のない活動もしたということで、キャリアの節目ということになりそうな、そんな今年もそろそろ終わり。皆様よいお年を。

御の字

昼からヨメサンと車で京都へ。某知人の実家が魚屋なのでここ数年年末にカニを求めに行くのが恒例になっているのだ。で、今日行くか明日行くかだけど、明日は雪かもという話なので今日出かける。でっかいカニとヒラメとタイとカンパチの刺し身にいろいろお煮しめとか買って2万円だ。どどーん。どうだまいったか。っていうか、今年は忘年会とかの出費もないしこれくらいしとかんとバチあたるわ。で、帰ってくると、なんかヨメサンが調子悪いとか言い出す。マジかよ。体温測ると37度を越えてるっていうから、とにかく寝ろ、ってして、私は窓の掃除をしてから晩ご飯の準備とかする。刺し身はあるから、あとはお味噌汁とホウレンソウゆがくくらいだけど。たまたま土井善晴の本を読み始めてたので、こういうのがいいかなあってのもあってですね。で、そうこうしているとヨメサンが起きてきて、熱下がったとか言うのでホッとする。もしオレとか濃厚接触者になったら、どうしよう。会議とか行かなくてすむから良いのに、でも正月休みじゃ意味ないじゃん!とか思ってたのがとらぬたぬきの皮算用であった。しかし、昨日の私で今日のヨメサンって何なのそれ?ちょっと気持ち悪いといえば悪い。

石橋をたたく

今日は昨日買ったワインで町の某氏の慰労会の予定があって、5人の集まりになるのでこれはヤバいだろうか、とか思っていると、なんか夕方から少し体がほてってきた感じがあって、まさかと思って体温測ってみると微妙に平熱より高いでやんの。マジかよ、と思って何度も測るに一度37度を越えたこともあり、ヤバいヤバいと思ってとにかくも慰労会の参加は取りやめにする。なにはともあれ慎重にすべきである。いやしかし、もしこれ当たりだったら、昨日のミシマ社の人々は濃厚接触になっちゃってメチャ迷惑かけちゃうんじゃないか?とか、今日の慰労会にはヨメサンも行ってるんだけど、そっちはどうなの?あ、オレいないから4人になってるし、万一ヨメサンもかかっててそこでうつしたとしても言い分けたつわよかったわ、とか思いながら薪ストーブの前でゴロゴロしていたら、平熱に戻った。ということで、どうも杞憂だったらしい。ちっ、昨日バンパー壊してまで買ったヴァンナチュールを飲み損ねたぜ。っていうか、オレなんか社会のためにこんなにガマンしてるってのにさ。さて、ゴロゴロしている間に「昭和16年の敗戦」を読んだ。太平洋戦争開戦前に若手エリートを集めて開戦したらどうなるかをシミュレートした総力戦研究所で敗戦必至の結論が出たにも関わらずそのことがまったく省みられず戦争に突入していった、ということについて書いた本。書いている事からすると、シミュレーションといってもかなり雑な仮定に基づくものだったぽいのだけど、それでも結構良い線当てられていたみたいなので、そういう意味では戦争やっても勝てないのって、誰にでも予言できた事なんかもしれんね。でも戦争しちゃうんだね。今、このままじゃコロナ禍抑えられるはずないって誰にでもわかる事なのに、でも真面目に対策してないっていうのとおんなじだね。絶望しちゃうよね、と思った。それはともかく、こういういい本を書いていた著者がああなっちゃうんだねえ。

昭和16年夏の敗戦 新版 (中公文庫)

昭和16年夏の敗戦 新版 (中公文庫)

 

 

冬の遊び方

お昼からミシマ社へ。来年やるオンラインイベントの仕込みで仕事納めで大掃除やってるところにお邪魔して出てくる虫のしたいとか観察するの。で、USB顕微鏡持っていくのと、このご時世電車に乗りたくないので車で。お昼なので、皆さんでピザでお昼ご飯。で、すぐに大掃除になるのでこちらはちゃぶ台に店を開いて待っていると、照明のシェードを外したのが運ばれてくる。おお、カツオブシムシの死体があるじゃん、と思って顕微鏡下に運ぼうとすると動いてるよ!って。生きてるじゃんこれ。なんで?そもそもどこから入り込んで何食ってるの?って話だけど、これ多分成虫が迷い込んで産卵しちゃって、他にも入り込む虫がいるからその死体食って生きてるんだなあ。すげえなあ。ということになる。他にもジガバチとかユスリカとか何かのアリの雄とかいろいろ出てくる。ついでに、庭先の土をふるってみるとヤスデやら何やら出てきて、あとおそらくウロコアシナガグモの幼体もみつけた。つうことで、USB顕微鏡があれば冬でもいろいろイベントで見せられそうだという事がわかって御満悦で帰ってくるのだけど、途中でワインを買おうと思って細い通りに入って駐車場入れる時にバンパーこすっちゃったよ。しょんぼりしょんぼり。

味変

年賀状を作る。今年は家族旅行とか行ってないし、そうなると家族で何かするということもなくなる子どもの年齢になっているしで、年賀状の部品たる写真の枚数が極端に少ないので、なんとなく年賀状を作るのが億劫でここまでサボってきたわけだが、ついにもうダメだから、と取り組んでみたら、ウチの中で撮った写真だけで何とかお話を組み上げる事に成功。さて最近はウチにいる事が多く大学に行く時も電車は避けて車を使っているわけだけど、そうするとウォーキングノルマが達成しにくくてかなわん。そこでダイエットしたいヨメサンと利害が一致して、良く2人で近場を歩き回っているのだけど、今日は風景に飽きたという事で車で川向こうに行ってそちらの堤防を歩いてみたら新鮮だった。たまにはこういうのもあるとよかろう。

脆弱性

とりあえず年内にどうしても片づけなくてはならない事は終わらせたので気楽な週末である。もう大学も明日から年末年始は学生は来ちゃいけない事になっていて、それはこの状況への対応として極めてまっとうである事よ。今の勤務先は、コロナ対応についてはずっときっちりやってきていて、結構見直している。一方、ウチの高校生2人は今日まで学校があるらしい。いやマジで勘弁してほしい。