海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

どっちの映像ショー

というわけで、京大博物館でのお座敷。実は初めて博物館に入るのだ。出番は午後からということで、11時頃に集まって話し手三人で打ち合わせ。館内にほとんど人気がなくて、そういえば昔、鳥学会の自由集会で聴衆一人ってことがあったことを思い出して不安になり、「オレは今回やる気がないぜ」という事をアピールする。閑散とした会場であっても、こちらにやる気がなければダメージも少ないと言うものだ。イヤ実際、今回はそれなりの時間を準備に費やしたとは言え、何となく当事者意識を持つことがずっとできなかったので、それでなくてもやる気のレベルが低かったわけだ。

で、打ち合わせも済ませて百万遍でお昼。最初はアオゾラへ向かったのだけど、まだ店が開かないとのことで、やはりタイカレーの「こあの助」へ。アオゾラより若干お安い値段でお味も値段相応だった。こっちで気軽に食べるのも十分にアリかと。

そして舞台。今回は映像博関連団体のトークショーと言うことで、動物行動の映像データベースの映像を使ったお話をする。私はその最後のパートでY田さんと映像対決。いくつかお題を決めて、それぞれがデータベースから、これはという映像を探してきて、みなさんに紹介。どちらがそのお題により合っていたかを、聴衆の拍手で決めてもらおうと言う。一般向けの講演会で夏休み中だから子供も多いと言う話だったので(実際はインフルエンザ禍のために関西では既に二学期が始まっていたのだが)、こういう気楽なのが良いだろうと言う意図だ。拍手を組み込めば、聴衆も否応なくノらざるを得なくなるわけで。しかし、このやり方の問題は、聴衆が少なかったり拍手してくれなかったらハチャハチャになること。少なくとも20人くらいはいてくれないとなあ、と思っていたら、30人ほど集まっていたのでホッとする。で、対決ショーはそこそこ受けていた。最初からこうと判っていればやる気のなさをアピールする必要もなかったかもしれない。

終わってから博物館の人と喋っていて、こないだからずっと感じていた「科学映像」のあり方への違和感がどこにあるかがやっとわかった。科学を表現するのに映像、というかそれを編集した映画の形式を使うことには大いなるねじれがあると言う事だ。というのは映画と言うのは(ナチの例を引くまでもなく)洗脳に適したメディアであるという面を持つのに対し、科学の面白さは与えられたストーリーを無批判に受け入れることからは決して生まれてこないからだ。「科学映像」をメディア主導で行うと、メディアの側にその意識がなかったとしても、その分野で培った高度に発達した技法は人を洗脳するよう機能する可能性が十分あるわけで、それは実は科学の精神を蝕むんじゃないだろうか?そういうことにもう少し意識を持った方が良いんじゃないのかな?

その後折角だから常設展示も見せてもらおうと思ったら10分で閉館になってしまったので、ちゃんと見られず。

夜は京都駅近くで動物行動の映像データベースの運営会議。だけど、飲みながら、かつ一仕事終わって緊張感が解けた後だったので、会議の体を為さず。しかし良く飲んだ。

終電間際で帰ってきてみると民主大躍進。善かれ悪しかれこんな機会は滅多にないわけで、リアルタイムで開票速報を見ることができなかったのは本当に残念。