海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

度し難し

私が、近年のFD活動の義務化と言うものに対して極めて批判的である事は何度か書いてきた。しかし悲しいかな蟷螂の斧、一教員が批判的だからと言ったって物事が何か変わるわけでもなく、今日はFD講演会というものがあって、まあなんというか出席しろとの圧力の強さを感じたので仕方なく出てみたわけ。で、その内容がこれまた私がとても疑いの目を持って見ているところのアクチブラーニングだ。ティをチにわざわざ書き換えているところに私の底意を見てくれたまえ。いや、どういう疑いをアクチブラーニングに抱いているかと言うと、あれは90分15回の講義ができるほどの体系だった知識を十分に持たない人が教壇に立つための方便なのではないか?と言うことなのだな。近年ちゃんとしたアカデミズムの訓練を受けていない人が大量に大学になだれ込んでいるわけで、彼らが自己正当化のために称揚しているのがアクチブラーニングである、と、そういう見立てだ。

それから、私なんかから見ると、アクチブラーニングはサボりの手法にも見えるのですよ。一コマの中で学生に作業させたり意見言わせたりする時間を組み込むと、講義の準備に要する時間がかなり軽減されるので楽になる。そして、学生から出てくる意見は、まあほとんどは学生の意見にとどまるのであって、正直言ってそんな目の覚めるようなものである事はほとんどない。そもそも何もないところに意見を出せって言うのは過剰な要求だと思うし。なので、捌くのに苦労する事もあまりない。講義負担が多すぎるために、ちゃんと講義ができる能力があるにも関わらず、アクチブラーニング的手法を導入して楽するんだと公言している人も私は知っている。

フルセットの講義というのは、それなりの知的蓄積の上で初めて成り立つものなのであるから、そのような講義ができる人をわざわざアクチブラーニングに投入するのは人材活用の面で非効率であろう。いやもちろんアクチブラーニングが称揚するような、能動的でメタな学び、学び方の学びみたいなものが重要である事はまったくその通りだけど、それってアクチブラーニングとかわざわざ言わなくても、従来のゼミとか卒業研究とかで身に付けられるはず。で、アクチブラーニングで身に付けるのはメタな学びだから、一度やればそれで十分で、ゼミとか卒業研究以上に行う必然性が感じられない。ネコも杓子もアクチブラーニングに殺到してどの授業もその方式とかなってしまったら逆に効率悪くなるでしょうよ。というわけで、一応フルセットの講義ができる私としては、アクチブラーニングを押し付けられるなんてまっぴらゴメンである、と、そういう立場なわけ。

そんなわけだから、講演会場にもiPadを持ち込んで内職する気満々で臨む。とはいえ、職業的習慣と言うのは悲しいもので、前で誰かが喋っていると、どうしてもその内容が頭に入ってきてしまうのだな。で、タイプしながら聞くともなく聞いていると、アクチブラーニングがなぜ必要とされているかを語っている。が、その話の内容がひどい。結論ありきで何の根拠もなく、というか、根拠らしきものとしてふわふわした感覚的な言葉と数枚の写真が示されるのみで、社会が変化したので教育も変わらなければならない、とやられるのだ。こんなの学部生のゼミ発表でも、真面目にやれとどやされるレベルである。聞いている方は、私はともかく他の先生は社会学系の人たちだ。仮にもプロの面々を前にして、しかもそのプロたちが仕事でやっている活動を、批判しようと言う時に、あまりに脇が甘すぎる。とはいえ、私も大人だから、コンサルってホントにしょうもない仕事だなあ、と思いつつ、聞き流して早く終わらないかなと思っていたわけ。で、苦痛の一時間半が過ぎ、質疑応答の時間になって、ある教員が「そんなこといっても公務員試験対策とかしなきゃならないのに役に立たないのではないですか?」と意見を述べられた。で、それに対する答えが「アクティブラーニングと従来型の講義は両方必要で」とか言うもの。で、ここまで散々に旧来型の講義をディスって、アクチブが素晴らしいみたいなことを言ってたのに、今さらそんな適当な事言うのか、と、カチンと来たのですよ私が。質問に答えるのにももうちょっと誠実なやり方があるだろうよ、と。

なので、少しむっとしながら「じゃあ両者の配分としてはどのくらいが適切か教えてくれ、現状よりアクチブラーニングが増えるべきと考えておられるようだが、なぜそう思うのか理由を教えてくれ」と質問したのですよ、私が。よっぽどストレスたまってるらしい>オレ。そしたら「あなたは今の状況で良いと思っているのですか?」と逆質問され「そうです」と答えたら「どうしてですか?」と更に質問してくる始末。質問に質問で返すのはやったらあかんやろう!とプチプチ来て、「現状を批判するあなたがまず根拠を述べるべきでしょう」と、まあ少し怒気を交えて言ってみたら「どうしてそんなに怒ってるんですか?」とあくまでこちらの質問には答えない。舐めんなよ!!って思ったところで他の教員にとりなされ、もう少しマイルドな表現で講演内容の問題を指摘するコメントがフロアのあちこちから出されたので、じゃあもう矛を収めるかとお終いにしたと言う。

まあ、そんなわけで、アクチブラーニングは、まともな講義のできない人が教壇に立つための方便である、と言う邪推が少し強化された一日であった。って言うか、コンサルに向けてもそうだし、最近の世間様に向けてもそうだが、アカデミズム舐めるなよ、と言いたい。いい加減な言説を批判する訓練だけは人並み以上にできてるんですよこちらは。それから、コンサルはもう少し、周りに対して誠実であるべきだと思うよ。

で、その講師と思しき人のTwitterを後から見つけたので眺めてみると、こちらの批判はちっとも伝わっておらず、しかも私らの反応を痛いとこ突かれたから現れたものと解釈されている様子だ。もうダメダメ。