海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

ダブルス

二時間目の授業、教室に着いたところでVGAアダプターを忘れていることに気がつく。しゃーないので取りに帰るのだが、往復10分を失ってコメントペーパーを書いてもらう時間がなくなってしまった。何年かに一回くらい、こういうポカをやらかすのだけど、まあありていにいってこれは授業に対する意欲の減退の現れであろう。他のところで喋ったときのウケの大きさとの落差が最近いやが応にも目に付くわけで、これくらいの減退は大目に見て欲しい。さて今日は午後の会議が終わったところでぴゅーとウチに帰る。今日はヨメサンが10月に講演した名古屋工業大のまちづくり研究会がまた開かれるらしく、わざわざ聞きに行くのだとか。ほへー、勉強熱心な議員で感心なことである。研究会は18時半からということで、つまり私が子供のご飯づくり役であると言う。肉豆腐味噌煮と野菜とキノコのバター炒めを作った。結構美味かった。で、ぼんやりしていると、ヨメサンが帰りの新幹線の中から矢のようにメッセージを飛ばしてくるのだが、それが支離滅裂なのだ。タイポも満載で、そもそも人語として判別するのも困難なレベル。どうも会がよっぽど楽しかったようで、何かを発したくてたまらないのであろう。言葉覚え始めの赤ん坊のようである。つうことで、24時頃駅まで迎えに行って、26時まで話につきあう。突然コメントさせられたけど、なんとかこなせたの、とか言うので、そうかそうか良かったねえ、とか答える。あと、なんか政治的な立ち位置のまったく違いそうな大学教員から「慰安婦なんていなかったんだ。お前勉強しろ」的な説教された、というので、あーそう言うこという人は実務家教員に違いないよ、と言ってその人の経歴を調べてみたら、本当にそうだったというね。ということで、世の中ってのはなんてパターン化されているのかしらと感心する。