海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

責任の所在

先月末の島本町都市計画審議会の事をまた思い出しているのだけど、やはりこれはどう考えてもまともじゃない状況に町が陥っているといわざるを得ない。行政はこれまで「都市計画の変更を進めることについては都計審で認められている」ということを錦の御旗にしてきたわけだけれども、今回の都計審で明らかになったことは、会長以下大多数の委員が「行政がやろうとしていることだから進めるべきだ」と考えていることである。それが典型的に現れているのが、冒頭の農業委員会会長と町長とのやり取りであろう。つまり、行政は都計審が決めたからやっていいのだ、と主張し、都計審は行政が決めたからやるべきだ、という。この構図は互いが互いに相手の言うことに従う、と言っているわけで、どこにも意思決定の主体が存在しないことになる。このような、プレイヤーがみな誰かに依存しているという曖昧な状態で極めて重要な案件が推し進められていくというのは、第二次大戦に突っ込んでいった日本の様子を彷彿とさせる。で、このような無責任さの横溢した先に待っているのは、災厄である。そして、この災厄は、多くの何も知らない市民に降りかかる。このような無責任な状態について、当の関係者はどうも認識を持っていないようで、件の農業委員会会長は、審議会委員が決めて責任を持ってやっていく、というようなことを会議中に繰り返し述べている。このような発言は、一見したところ素晴らしい言葉なのだが、しかしここは良く考えるべきである。例えば、この計画を進めて高層マンションが建って人口が増えて待機児童が発生した時、保育園に預けられなかった保護者が本来働いて手にできるはずだった賃金を、審議会委員が責任を持って立て替えてくれるのだろうか?いやそうではあるまい。そういうたくさんの不具合が起こっても実際には審議会委員は誰も何もしない。できないのだ。であるから、軽々しく責任などという言葉を口にすべきでない、と私は思う。そもそも、ある意思決定にまつわる責任というのは、その意思決定によって被害を被る可能性のある人しか取れないものなのだ。今回の都市決定変更にかかわった人は皆、このことを真剣に考えるべきである。