海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

エイプリル・フール

今日は職場が創立記念日でお休み。懸案の医者に行ってきた。


というのは、私は物心着いた時から足の裏にほくろがあって、これが大きくなったり別のところにもう一つできたりすると、皮膚ガンの可能性大というものなのである。で、以前から警戒していたのだが、去年の夏のある日ヨメサンが「ここにこんなほくろがあったっけ?」と言いだした。それは、これまで見たことのない足の裏の染み。私は「ついに来たか」とその晩はまんじりともしないで過ごしたものだった。


翌日泣きそうな顔して皮膚科を受診したら、女医さんが出てきて、まず以前からあるほくろにムムムッと顔を近づけてきた。「いや、そっちは昔からあるほくろで、今日来たのはこっちなんです」すると女医さん「ん?でも、これは」といいだして綿でごしごしこすりだした。なんのことはない。何かインクがついていただけのことで、たいそう恥ずかしい思いをしたもんだった。で、折角だから昔からあるほくろのほうも見てもらい、あらかじめ切ったもんだか相談し、結局様子を見ようという事で写真だけ撮ってもらって帰ったのだった。どうでもいいが、その女医さんはお茶目な人で、診察中に医学書を持ってきて、ガン化したほくろがどんなものか見せてくれて、自分でもページをめくっては「うわっ」とか言っておられた。


で、だ。人の心の動きというのはよくわからんもんで、最近子供ができてとても幸せな私は心のどこかで「こんなに世の中が幸せなはずは無い。これは将来何かで埋め合わされるはずだ」と思っていたのである。で、無意識のうちに襲いかかるべき不幸を探していた私の心が目をつけたのが足の裏だった。なんとまあ、気がついた途端、急に足の裏が熱くなり、何か痛みを感じ始めるではないか。で、おそるおそる足の裏を見てみるとなんだかほくろが大きくなっているような気がする。そのつもりで見ているから、そう見えてしまうのか、それとも本当に大きくなっているか誰に知れよう。で、以前に一度眠れない夜を過ごした記憶があるというのは偉大なもので、それ以降はちょっとでもそのことに考えが及ぶと動悸が激しくなり息が苦しくなるようになった。


そんな状態は一カ月ほど続いた。さすがに前回の事があったので、今回はすわ病院というわけにもいかず、また逆に見てもらってもし本当に大きくなっていたらどうするんだと思って、誰にも話さずに一人でグジグジ悩んでいたのだ(思えば、まったく支離滅裂な思考である)。で、最近は少し落ち着いてきて、この事を人に話すことができるくらいに落ち着きを取り戻してきた。落ち着けば「そんなに思い悩んでいるなら、以前の写真と見比べてもらえばいいじゃないか。そのことに何のデメリットがあろうものか」と考える事も容易になる。


結果、ほくろには何の変化もなかった。冷静に考えたら、初期の皮膚ガンが痛みを伴うわけは無いし、それとなくヨメサンにほくろを見てもらっても、大きさは変わらないと言われていた。まあ、ぶっちゃけた話が心のバランスを失いかけて、柳の下に幽霊を見ていたわけだ。


それにしても、お茶目なお医者さんに「ガンです。。。ウソですよーンだ」なんて言われたらどうしようと待合室でチラッと思ったが、さすがにそんなことはなかったのでほっとした。