海の底には何がある

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後から来た意識

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

現代の生物学者は人間を動物の一種だとみなすわけで、人間の持つ性質は動物にもあるとするのがデフォルトになっているように思う。よしんば人間にしかない性質があったとしても、その萌芽は動物にもあるはずだと。意識も然り。

こんな風に意識を考えると言う事は、つまりそれはヒトが祖先種から分化したその時から意識を持っているということを前提として含意しているように思う。で、私も生物学者の端くれなので同じ前提を持っているのだが、もしそれを取っ払ったらどうだろう?意識を、ある程度文明が発達して社会が複雑化した後で文化的に成立したものだとするなら?

この本はそういう主張の本である。もっと言うと、意識ができる前、人間の脳は右半球と左半球がうまく統合されておらず、右半球は神の声を語る形で意識のない人間に指令を与えていたという仮説である。筆者はこの仮説を証明するために、人類最古の文学に現われる人物は、ことごとく神の声を聞き、自分を内省する事はない事を語る。そして、意識が成立しその重要性がましていく中で失われていく神の声を聞く事のできる人物としての預言者、巫女などの存在が多数の文明に普遍的に存在した理由を説明する。さらに現在の統合失調症が、意識がまだなかったヒトの心の名残である事、ヒトのうち1/3が聞いた事があるという幻聴も神の声である事を述べるのである。学術書として書かれているが、ほとんどSFである。しかも滅法面白いSF。こんなに色々な要素を奇想天外なただ一つの仮説で繋いでみせるなんて、とんでもない芸当だと思う。

しかし実際のところ、今の世の中でも「この人の見ている世界は私の見ている世界と全く違っているのではないか?」と考えざるを得ない人にでくわすことがある。そういうとき、これまで私は意識のあり方が人によって異なっているのだと解釈していたのだけど、意識を持ってないんだってのでも説明できるんだな、と妙に感心した。そういう人たちを形容する言葉として、私はよく「自分と他人の区別がついていない」という表現を使うのだけど、意識と言うのは自分と周囲の世界を客体として見る事で、それができて初めて自分と周囲とを区別できると言うものだからね。

あと、ちょっと前に読んだ「ジェノサイドの丘」で、虐殺された側があまり抵抗しなかったとあったのが不思議だったのだけど、ひょっとしてこれも意識の欠如で説明できるのかも。意識は時間感覚を産みだすものでもあって、もし時間が存在しなければ存在するのはただ現在の生だけで死さえ存在しなくなるのかもしれないから。

というわけで、妄想喚起力も抜群。頭クラクラしたい日に是非。