海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

やじ馬はどこへ行った?

諏訪哲二「オレ様化する子どもたち」を、長崎から松山への長い道中の道連れに買って、結局途中スーピー寝たので読み切れずに、最近やっと読み終わった。教育は先の事が良く見通せない子供に、新しく何か(それが何のためであるか子供にはわからない)を行わせようとする営為であり、そのためには教育の場はコミュニティーでなければならない。しかし、そこに「何かやったら必ず即時に見返りが得られなければならない」という等価交換意識が侵入してきて、教育がやりにくくなっているのが現状である、という内容の本。

この本を読んで、私の講義中で一人の学生が気分が悪くなって倒れたときの事を思い出した。そのとき私は慌てて医務室に連絡したり、教壇を駆け降りて倒れた学生の様子を見ていたりしていて、講義は完全に中断していたのだが、100人弱ほどいた他の受講生は誰一人心配するでも様子を見るでもなく、じーっと座ったままだったのだな。もちろんほとんどの学生は倒れた人とは面識がないのだろうけれど、私の常識では、こういうときにはとりあえず遠巻きにでも近づいてきて状況を把握し、何か自分にできる事は無いかしら?と考えるのが人というものだ(いや、別に心配だからじゃなくてもよくて、やじ馬的でも構わないのだよ)。ということで私の経験した無反応さ度合いにちょっと空恐ろしさを覚えたのだけれど、これも教育現場がコミュニティーじゃなくなっている事の一つの現れなのかもしれないね。

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)