海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

正当化

私の試験は論述中心で、学生がたまたま何度か授業を聞かない回があったとしても、それが致命的にならないように、各回で話した内容からまんべんなく問題を出すようにしている。問題の全てに回答できなくても単位が行くようにするわけだ。ということで試験はいつも4-5の大問で構成している。

で、今回のように一科目350人ほどもいて、全部採点するのにのべで3日も4日もかかるようになると、論述式の問題を採点する場合、最初と最後で基準がぶれてくるのが問題となる。ということで、今回は一枚の回答を全問採点しては次の一枚というふうに進むのではなくて、各大問毎に全員分採点してそれを繰り返すやり方にしている。こうすれば一つの大問について採点時間はそれほど長くならず基準のブレもそれほどにはならないはずだという。

ところがこうすると、「うえーまだ50枚くらいしか終わってない」と思う機会が何度もあることになって、精神衛生に悪いだけじゃなくって、その思いにめげてしまってつい逃避に走り、採点が進まなくなるのであった。で、週末を全て投入してもまだ4割ほどの作業が残っているという。

そんなに大変なら記述式の問題をやめればいいのにという声が聞こえてくるのだが、そこはその私的にどうしても譲れない一線なのであるな。日頃から私は、大学の教養教育で大事なのは、知識を覚えることじゃなくて、考え方を身につけたり、自分の知らないことを知ることを楽しいと感じ、人から強制されなくても自分で進んで本を読んだり調べ物ができるような態度を身につける事だと思っている。だからこそ講義への出席を強制するための出席点には反対だし、半期の講義回数を増やしても教育効果はたいして上がらないと考えている。こういうのは技術教育のみで有効なのだ(大学で技術教育が不要だといっているわけではない)。

なので、知識丸暗記で対応できる形式の、例えば穴埋めとかマークシートを使ったような試験をすることは、私的には自分の講義の存在理由を掘り崩す行為なので決して受け入れられない、と、こういうわけだ。試験の形式だって学生に対する重要なメッセージだ。これで、なにも考えずに丸暗記したってしょうが無い世界が世の中にはたくさんあるんだよって、訴えたい。

ということで今日も一日ヒーヒー採点という。