海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

遅い春

震災の影響で、来年度の講義が4月いっぱい行われない事になった。5/2から開始との事。計画停電が終わるまでは講義も円滑にはできなさそうだと言うのはよく理解できる。しかし、電力需給は7月以降の方がより深刻な様子で、停電時間が長くなるかも知れないしピークも昼間に来るので講義へのダメージは大きくなるのではなかろうか。一方、ここ数日の様子を見ていると、4月になるとほとんど停電しなくなるような勢いだ。もういなくなる私が考える事でもないけど、ここは夏に休講が頻発しても構わないよう、頑張って4月から講義をしておく方が良いんじゃなかろうか(そういってすべての大学が活動を始めると電力消費が増えて困るとかじゃ無い限り)。

いずれにせよ、この状況では例の半期15回講義の縛りは到底達成できないように私には思えるのだけれど、まさか補講しろとか御無体な事は仰らないでしょうな>文科&厚労。

いや、以前から主張しているように、教育は回数を重ねれば線形に効果が上がるものでは必ずしも無いのだから、別に15回できなきゃできないで構わないのだ。それに、そもそも大学での学びは学生の自主性に大きく負うものであって、講義が物理的にできない状況なら自学でそこを補ってもらえば良いだけの話(もちろん教員はその方向づけはする)。これを機に、そういう本来の大学の姿を取り戻す方向に1歩踏み出せばいいじゃないか。これからは、これまでと同じようには暮らせないのだから。

ところで、学生の中には5月まで授業がない事に納得行かない人もいるのだそうだ。確かに私も4月からやった方が良いと思うのだけど、その学生さんは私とは違う理由で、つまり授業を受ける権利の侵害であるとこの事態を捉えて納得していないのだそうだ。まあその主張は理解できるのだけれども、でもそれはこれまでの暮らしが続く事の延長線上にある。私としては、大学は上で書いたような事を彼らに訴えていくべきではないかと思うよ。とはいえ、彼らも不安なのかもしれない。益々不透明な卒業後の事を考えると、キチンとした授業にすがりたいということなのかも。

さて、今日は同じマンションの奥さんが昼間に送別パーティーをウチで開いてくれるという。で、私もちょっと奥さん連に挨拶でもして、ついでにウチでお昼ご飯を食べようと帰ってきたらば、玄関に溢れかえる靴、靴、靴。なんか子供が10人以上いるように見える。大人も5人はいる。。。と思っていたら、さらに後から後から人がやってくる。上の子の小学校のお友達とそのお母さんの集団と、ぶーちんのお友達とそのお母さん集団をひとまとめに呼んだらしい。いったいこの狭いウサギ小屋に何人が入るつもりなんだろう?と思って、後から数えてみたら、赤ん坊まで含めると全部で59人!!!ウチの床面積が56平米だから、一人当たり1平米もない!(実際は浴室とか物置になっている部屋とか廊下とか除くと使える床面積は半分くらいか)。これって満席の新幹線並みの混雑度合いだ。いや、その全員が同時にウチにいたわけではないけれども、でも40人くらいは入ってたんじゃなかろうか。いやあすごい経験をした。でも、こうして大勢の人ががやがや出入りして賑やかな家って私の理想とするところ。東京生活の最後でこんな風にそれが実現して嬉しいね、という。それにしても、こんなに人が集められるなんてヨメサン実は人望厚い人だったのか。

しかし、こんな事されちゃうと、離れるのが辛くなっちゃうじゃないよ。