海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

フィルタリング

今週は来年の卒論生配属を決める週。アウェイなポジションにいる私としては、他のところの卒論のイメージで私のところに来る事態は避けたいと思っており、ここでは全学生向けの研究室紹介の機会などないので、個人的に希望者に面接をしているわけ。というのは、本を何冊か読んでその内容をまとめるのが卒論と思っている人の中には、どこかにある正解を持ってくるのを目的と捉えている人がいて、そういう人はどういう結果が出るかわからない観察とか実験に基づくデータ取りに対して非常に腰が重い事が多いのですよ。そうなると、私のところの卒論は厳しい。更にそういう人には卒論は締め切りの1ヶ月前にちょこちょこっとまとめるものと思っている人もいて、私のところでそれをやろうとすると12月になって何も見るものがないと言う事になって死ねる。ということで、そのような誤解を解いてから配属を決めて欲しいと思って説明のために面談すると言うわけだ。当然ながら、説明するうちに見る見る顔が曇っていく希望者というのがいて、そういう人は結局希望を取り下げることになる。で、不思議なのは、誤解の存在はどういう卒論を書きたいかとは本来無関係なはずなのに、どうして説明すると止めていくのかということだな。いや、カマトトぶってみたけど、ホントは答えはわかってるのよ。

夜は某所にて飲み会。ほぼ初対面の人たちばかりだったけれども、人見知りの私にはあり得ないほど思う事をそのまま喋ったのである。まあ、もうそういう年ごろだから。