海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

伝わらない

卒論の話だ。私は、一応なんか生き物でデータを取って卒論にするという縛りをかけているわけだが、文理融合といいつつメインは文系であるところの今のところでは、学生の中には本や文献を読んでまとめるのが卒論だと思っている人がいる。で、そうじゃなくって、体を動かしてデータを取るんだよと口を酸っぱくして言ってもなかなか動かない。思うにこう言う人は、そういう活動が嫌いなんだろうと思う。それは、まあ人は色々だからそういう人がいても構わないんだけど、でも私のところで卒論すると不幸になるので、そうならないよう配属時に縷々説明をするわけ。「データ取るのってしんどいことも多くって誰でもできるわけじゃないんだよ。向き不向きがあるのよ」って。この説明で分かってくれて「そういうのとは思ってなかった」と言って去っていく人もいるけど、中には「大丈夫です。できます」と言い張って聞かない人もいる。で、こちらは不安を覚えつつも、そういうなら、となるわけだが、いざじゃあ具体的に動こうよとなるとやっぱり動かないんだこのタイプの人は。で、思うにこの手の人たちはこちらの言うことを字句通りに取ってくれないんじゃないかな。「誰でもできるわけじゃない」というこちらの言を服従の要求と解しているみたいに思われる。だからひたすらに「できます」と言い募るという。熱意を見せるのが大事だと思い込んでいるというか。一方の私は、違うんだけどなあ、と思いつつ、こういうモードにはまったときの脱出方法をいまだ見出せないでいるのですよ。いや、根性主義者とそれを解さぬ者との間には、埋めたくても決して埋められないギャップがあるようなのね。